小ネタの暴走は、未だに健在。君はドコまでついて行けるか!? 超特濃・高密度で展開する異常作「ふおんコネクト!」第3巻


もうだめぽ

 久しぶりの更新一発目なのに、タカオさんはいきなりダメ宣言をしました。

「流石に疲れた。でもまぁ、新刊が出てしまったんだから、仕方ないな。とりあえず、前回、一部で好評だった元ネタ拾いを今回もやってみた」

 私はもう、これ以上、この地道な作業に時間を費やしたくは、ないのですけれども……。でも、見つけちゃうんだから、仕方ないですよね。ドコまでネタの宝庫なんでしょうか、このマンガ。いくら探しても、終わりが全然見えないんですよ。というか、作品自体の感想は今回書かなくていいですか? 私、ウェブログの更新方法を素で忘れてて、かなり困ってるんですけど。

「ゆっくりした結果がこれだよ!!!」

 とにかく、ネタについては、今のところ判った範囲で暫定upしておきます。今回は、2巻のとき以上の分量になりました。あ、なお、この文章は、そのうち書き換える可能性があるので、ご注意を。




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長澤真の一大絵巻を見逃すな。描き下ろし多数で贈る圧倒的迫力のフルカラーコミック「せどうか」


「なんか、知らない間に“梁山泊”だとか呼ばれてるんだけど?*1

 普段は周囲の評価などさして気にしないタカオさんが、不意につぶやきました。

「ま、単にアウトロー集団って意味なんだろうけどさ。世を儚みつつルサンチマンを抱える者たちって意味では、大体あってるけどな」

 "読書会の"ってことなので、一応褒めてもらってるんだと思いますけど……。もっと素直になりましょうよ。ツンデレ、格好悪い! 

「――でも、日本を代表するSF系ブロガーだった過去の海燕さんならともかく、今のこの人に言及されてもなぁ……。やっぱ、アイマスの重力に魂を引かれた……もとい、抜かれた人はダメだなぁ」

 まぁ、人には人の、いろんな都合があるんですよ、きっと。

「短編集が販売戦略上不利だってのはともかく、SFマンガというジャンルと相俟って二重苦だ、って意見もどうなんだろ。昔から、マンガというメディアはSFと切っても切れない関係なんだと思うんだが。手塚も藤子も石森も、皆一様にSF作家なんだぞ。ジャンプ黄金期の作品だって、『DRAGON BALL』も『キン肉マン』も『北斗の拳』も『幽☆遊☆白書』も、全部ぜんぶSFじゃないか。SFこそ、マンガ会のメインストリームをリードしてきたといっても過言ではないというのにッ!」

 ――いや、流石にそれは過言ですよ。タカオさんが言ってるのは、“広義のSF”でしょう? 通常の人が持ってるSFの概念と異なりますよ。通常の人はSFと聞けば“ハードSF”を連想するんですから。『2001年宇宙の旅』や『スター・ウォーズ』みたいな。まぁ、それはともかく。とりあえず、前回は色々収穫ありましたね。私たちにとっては、満を持して発売された“待望の”作品であっても、一般的には全然知られてなくて“新鮮”な情報となることもあるってのには、素直に驚きました。

「俺、よく色んな人に『お前の常識が世間の常識だと思うなよ』って言われるんだけどさ、その意味がようやく判ったよ」

 いやいや、それ単に、タカオさんが世間知らずな非常識な奴だって言われてるだけだと思うんですけど!

「自分が知ってることを周囲のみんなもまた知っているとは思わない方が良いって話なんじゃないの? それを言ったら、佐久良タンだって良く友人に『ごめん、そのネタよく分かんない』って謝られてるじゃん」 

 人をハイエンドなオタクみたいに言わないでください。どっちかと言えばそれは、タカオさんの方じゃないですか。

「なに言ってんだよ。ハイエンドなオタクってのはなぁ、もっとこう、違いの判る奴のことを言うんだって。例えば、『渡辺明夫』と『ぽよよん♥ろっく』の絵柄の違いが判るような……」

 判らないって、それ。同一人物だからッ!

「あれ? そうだっけ。でも、まぁ判る人には判るだろう。ジョン・ディクスン・カーカーター・ディクスンみたいな感じでさ」

 一緒にしないで下さい! ファンに怒られます!

「あぁもう。佐久良タン、今日はちょっとツッコミ過多だよ。まぁ、いいや。いい加減ボケるのも疲れてきたので、本論に入ろうか。今回の課題本だけど、海外では JASON 名義でアメコミも描いてる長澤真の国内初単行本『せどうか』ね。作者の長澤真は、新装版「大久保町シリーズ」とか小川一水ソノラマ文庫の挿画なんかでラノベ読者にはお馴染みかもしれない。今回は、[robot]に長期連載されていたフルカラー作品が遂に一冊にまとめられたってだけでも凄いけど、そこに大幅な加筆・修正が加えられてて見事な完全版になっている。これだけ詰め込まれててお値段なんと1500円。ワニマガジン社は、一体どうやって利益出してるんだろうね。何にせよ、これはもう、マンガ好きなら普通買うだろ」

 しっかし、1500円の本を買うのに送料・手数料込みでわざわざ600円払うのは、やっぱりマニアの性(さが)なんでしょうかね? 本屋で買えば済むことなのに、わざわざそこまでする必要があるのやら……。

版元通販で購入すると、特典として作者直筆サイン入りシートが付くからな。そりゃ当然の一択。某『とらドラ!』MAD*2みのりん並に選択肢なし。盛るぜぇ〜、超盛るぜぇ〜!」

 そういう発言が、話をややこしくする元凶なので、いい加減自重してください。話が進みません。それにしても、今回は折角カラー漫画なので内容を引用しようかと思ったのですが、カバー絵が一番気合い入ってることに気がついたので、敢えてスキャンしませんでした。まぁ、中身は見てのお楽しみ、ってことで、ひとつ。

「ストーリーはシンプルなんだけどね。全身が真っ白に変化する「白色病」という奇病を患った野辺乃原の細姫。姫を慮った重臣・虎太郎は、姫と共に病を癒す泉があるという串刺谷を目指すことにした。一方、姫の出奔を知った蓮葉御前は、姫を奪還するべく追っ手を差し向ける。虎太勝Sは姫の護衛のため十次郎という名の一人の忍を雇った。ところが、この忍の正体、人間に恨みを抱いた一匹の物の怪であったのだった。というところか」

 いやぁ、改めて第一話から通して読んでみると、物語の様相が連載時の時に比べて大分変更してあってビックリしましたよ。台詞の変化だけでよくまぁここまで世界観に肉付けできるものだと感心させられっぱなし。野辺乃原・霧金・四条の三国戦乱時代の中で、細姫の存在がなぜここまで重要になっているのかが、非常に良く判ります。お話の中での説得力が増した、というべきかもしれませんが。

「最終話の描き下ろし部分が効いてるよな。細姫の身代わりとなった初と、霧金の直哉の関係とか、円との戦闘シーンとか。連載時に第9話が掲載されたとき、『次回完結』ってなってて『なんでやねん』って俺は正直思ったし、実際最終回読んだ後も、大事な何かが欠けてる気がして猛烈に隔靴掻痒な気分だったんだけど、それがようやく補完された感じ。もっとも、これでもまだ充分描ききってあるとは、思えないけれど」

 単行本化にあわせた加筆作業は相当なものだと思いますよ。細姫の顔とか、物語の中盤ぐらいまで殆ど全部描き直してありますし。このこだわりは凄いです。

「そういや、長澤真って、『FINAL FANTASY』のグラフィック担当もしていた経歴があるんだよな。だからか知らないけれど、何となく、最終章で細姫が成長した姿を見たとき、気分的になんだか、『FF IV』 のリディアが大きくなって再登場した時みたいな感覚を追体験したんだよな。感慨深いというか、どことなく残念というか……」

 それを言うなら、むしろ、十次郎の方でしょう。あの姿は、どっからどう見ても『FF VII』の……。

レッドXIII……だな」

 それだけ言うとタカオさんは、机に向き直って再びネットの世界にダイブしていきました。う〜ん。私は『せどうか』って結構良作だと思ってるんですけどねぇ。作者はモンスター・クリエイターを自認するだけあって、物の怪の造形とかは大したものだし、本書は、陰謀渦巻く戦乱を描いた伝奇SFとしてもコンパクトによく纏まってます。版元のワニマガジン社も、安倍吉俊の『回螺』といい、相当頑張ってると思いますよ? 何はともあれ、もっと広く読まれても良いと思える一冊なんですけどね。ハイ。

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長澤 真

ワニマガジン社 2008-10-31
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全国の漫画マニア・SFマニアよ、涙せよ! Boichiが贈る今年最高のプレゼント「Boichi作品集HOTEL」


「小説が読めなければ、マンガを読めばいいじゃないッ!」

 断頭台の露と消えそうな勢いで力強く叫ぶと、タカオさんは興奮気味にこちらを振り返りました。

「我々は、仕事が忙しいとか、紹介すべき本がないとか、愚痴と言い訳ばかり繰り返してないで、前向きに良作を探し出す努力とそれを読破する時間の確保を続けるべきではないのかね? そして、本来、選ぶべきジャンルやメディアにこだわる必要もないはずだ。面白ければ、マンガでも何でも、もっと全力で採り上げるべきなんだよ!」

 そんな異常に高いテンションでセンセーショナルなこと言われても、「なんだってー」とか、絶対言いませんからね、私は。*1。それに、そもそも毎回課題図書をきちんと読んでおかないのは、私じゃなくてタカオさんの方なんですけど……。あまつさえ、直前に作品を変更したりしちゃうし。

「――というわけで、俺は考えた。マンガなら速攻で読み返しが可能だし、なにより紹介するときも引用が簡単だ。だから今後は、積極的にマンガ紹介を採り入れていこうと思う。文句はないか?」

 上手く話をすり替えましたね。まぁ、別に異存はありませんが……。でも、結構難しいと思いますよ。基本的にマンガって小説に比べて長編が主流な上、長期連載が当たり前の世界なんですから。仮に私たちが作品を途中までの段階で大絶賛したとして、いざその作品が最終局面で風呂敷の畳み方を誤った場合、立場上全力では批難しにくいでしょう? 中途半端な紹介は、責任を伴う以上やるべきではないと思いますけど。

「心配ないって。そんな事いちいち誰も気にしてないから。それにラノベだって事情は同じだろ。ラ管連*2の人たちだって、別に二枚舌なわけじゃないし。『最高傑作級〜』な作品が、続編で『ゴミ。』とかバッサリ斬られてても、気になるどころかむしろ笑えるじゃん*3

 タカオさん、そのうち誰かから恨みを買いますよ……。まぁ、それはともかく、小説以上にタカオさんはマンガ好きなんだから、それでも別に良いと思いますけどね。実際、面白いマンガを紹介して欲しい、って声もいくつかありましたし。

「そういや、この夏にもSF大会で訊かれたなぁ。完結している作品縛りで名作を教えて欲しいって。じゃあ、weblogで紹介するよ、って答えといたんだけどさ……」

 ……weblog更新するのは、貴方じゃなくて私なんですがね。ま、それはともかく。そのまま現在に至る、と。

「だってさ、既に完結している作品が、面白いはずないじゃないか。『この先どうなるんだろう』という先の見えないドキワク感があってこそ、マンガを読む楽しみがあるワケなんだし。まったく、ラノベ読みのくせに、そういうところを判ってないんだなぁ、平和さんは」

 名前出しちゃったよ、この人!

「とても、『とらドラ!』の展開に一喜一憂してる人とは思えないよな。まぁ、そういう経緯もあったりしてさ、こちらの紹介もして行こうと思った次第だ。とりあえず、今回は希望に沿う形で短編集でお茶を濁しとくけど」

 それで『Boichi作品集HOTEL』の紹介なのですか。でもこれ、お茶を濁すなんてレベルのものでは全くないですよ。完全に、今年刊行されたマンガ作品の中においても、最上級レベルの品質の一冊ではないかと思いますけど。私は、ついこの夏に「全てはマグロのためだった」をモーニング本誌で読んで、「今年の星雲賞は、これにあげても良いんじゃないかな?」と思ったんですよ。けど、まさかその数ヶ月後に短編集が出て、それに収録されるなんて夢にも思いませんでした。嬉しい誤算というやつですね。

「完成度の点から行くと、やはり表題作の『HOTEL -SINCE A.D.2079-』が頭一つ抜けてる感じかな。作者のBoichiはSFマンガを描くために、わざわざ大学で物理を学んだという人らしいので、本質的にSF者なんだろうと思うんだ。この作品集自体も、アーサー・C・クラークに捧げられてるくらいだし、そんな作者が書いたこの初めての本格SF作品こそ、Boichiの本格デビュー作品といっても良いと思うけど。ちなみに、ストーリーを説明するとこんな感じ。加速度的に温暖化が進み、絶滅が避けられなくなった人類は、罪を犯した『責任』を負うため、生物のDNAを貯蔵する巨大な塔を建設することとした。後に『ホテル』と呼称されるこの塔を守るのは、ルイと名付けられた1台のコンピュータ。環境が変化し、人類が滅亡しても、彼は自己修復・自己増殖を繰り返し、愚直に塔を守り続ける。気が遠くなるような膨大な時間が経過しても、塔は依然、そこにあった。そして、2700万年後、遂にひとつの奇跡が起こる――」

 ラストの1ページは泣けますよね。画力もさることながら、構成力と見せ方が段違い。繰り返される伏線(謎)に対して、明かされる真実自体には意外性は殆どないのだけれど、それゆえ納得がいく展開になっていて素直に感動できます。台詞まわしからラストのクレジットに至るまでしっかり計算されていて、尋常ならざる読後感を得ることができました。名作過ぎですよ、これ。

「2作目『PRESENT』は、打って変わってウェルメイドなラヴ・ストーリー。病による長い期間の眠りから目覚めた妻・花子。しかし、彼女は3日間しか生きることができない身体になっていた。高尾親子は、そんな彼女を暖かく見守ることにしたのだが――という話。俺はこれ、今ひとつな気もしたんだが、佐久良タンはどうだったよ? やっぱり名作指定?」

 そりゃ、当然名作でしょう。もっとも、パンチが足りない分、佳作程度にしておいても良いですが。ただし、P.85では心底震えました。正直ヤラれた、と思いました。ほんの僅かな台詞の中に潜む、両手一杯の愛と優しさ。主人公たちの葛藤が一気に昇華するこの瞬間のカタルシスといったら、もう! もう!

「3作目の『全てはマグロのためだった』はどう? 俺はこの作品、バカバカしくって大好きなんだけど。くだらない内容を高いレベルで実現させるとこうなる、ってな見本だよな、これ。地球から絶滅したマグロを求めて、捜索したり創作したりするおバカな天才の一代記。いや、本当にギャグとしてよくできてるぞ」

 繰り返されるトライ・アンド・エラー。そのテンポの良さが素敵ですね。実際、内容の濃密さには驚愕します。このページ数でこれだけの事をするってことが驚異です。来年の星雲賞には、是非選ばれて欲しい作品かもしれません。

「ギャグといえば、4作目の『Stephanos』も異常作だったけどな。これは絶対気付かねー。騙し絵的な手法で魅せる一発勝負の物語。妙に画が上手いだけに、ラストのポカーン度合いが増してしまうのが難点だ。いや、勿論これは褒めてるんだけどな」

 結局、どの作品にも共通して言えるのは、Boichiの作品はどれも「喪失」から始まる物語だ、ってことでしょうか。起こることが約束された不可避の悲劇。それは滅亡であり、死であるのだけれど、ストーリーは常にそこから生まれます。主人公たちはそれを受け容れ、否定し、煩悶しますが、それら回避不能な現実を前にして、最善の方法を模索しようとするのです。ルイは塔を維持することを選択し、高尾は妻に、ある贈り物を贈ろうとして苦悩する。汐崎潤は、生涯をマグロの捜索/創作に費やした。どうしようもない現実に直面してなお足掻こうとする人間の姿の中に、人生の意味がある。Boichiの作品がどれも素直に私たちの胸を打つのは、「何のために人は生きるか」という単純かつ難解な命題に対し、登場人物たちがあまりに素直に、あまりに懸命に一直線に突っ走るが故に、私たちの共感を容易に得ることができるからかもしれませんね。

「今回は、とりあえずベタ褒めするしかない作品なので、余計な口は一切挟まないでおくわ。マンガ好きなら当然買うだろうし、買ったら勿論評価せずにはいられないだろう。この才能を見過ごしてはいけない。誰でも良い、作者に会ったら言って欲しい。たった一言『クリスマスプレゼントありがとうございます』と」

 それだけを一息に言うと、タカオさんはまた、机に向かって別の作品と向き合い始めました。折角名作と出会えたのだから、もう少しその余韻を楽しめば良いのにね。

Boichi作品集HOTEL (モーニングKC)Boichi作品集HOTEL (モーニングKC)
Boichi

講談社 2008-10
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ISBN:9784063727456

 

*1:ご存じ「MMR」ネタ……と思わせて、実はそれをパロった「ひろなex.」ネタ。
 曰く「あたしがセンセーショナルなこと言うから続いて「なんだってー」って言う遊びをしよう」

*2:ライトノベルサイト管理人連合」の略。大手ライトノベルサイトの管理人は仲が良く横の繋がりが強いため、色々と批判的な意見を他の人が発表しにくい状況になっている、との主張からこの状況を揶揄する意味で名付けられた蔑称……だったような気がしますが、もう良く判りません。

*3:これはあくまでも喩えの話です。「好きなら、言っちゃえ!! 告白しちゃえ!!」で、そういう評が過去にあったわけではありませんので、あしからず。

繰り返される死と再生。そして、音楽。ライトノベル新人賞優秀賞作品「ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート」


「そういえばさ、“紅茶に浸したマドレーヌ”の味から生まれる物語、って何だっけ?」
 どうでもいい疑問を前触れなく口にすると、思案げな顔をしてタカオさんはこちらを振り返りました。
「どうでもいい、ってことはないだろ……。いやまぁともかく、ふとしたきっかけで何かを思い出すことってのは日常よくあるわけだよ。記憶の底に追いやったつもりで居ても、その記憶が何か別のものと結びついてたりすると、その特定の刺激を受けた際、不意に甦ってきたりすることがさ」
 いや、そんなこと言って、タカオさん。あなた、全然思い出せてないじゃないですか。プルースト、でしょ、それ。『失われた時を求めて』ですよ。
「ああ、そうだっけ。その本、読んでないから分かんなかった」
 それ、もう“思い出す”とかいう以前の問題ですね……。忘れてすら、いないじゃない。
「忘却、っていうのも、ホントのところメカニズムがよく判らない事象の一つではあるよなぁ。少なくとも、俺の人生における苦悩の何分の一かは、こいつが占めているような気がする。これはちょっと、真面目な話になるけどさ」
 メカニズム、という単語で説明するのなら、そこは“忘却”ではなく“記憶”とするべきなのでは? 憶えるから忘れるわけで、それらは一連の流れなわけでしょう。片方だけ採り上げるのもどうかと思いますけど。
「いや、別に良いんだよ。今回は忘却を繰り返す物語を採り上げるわけだから。てなわけで、今回の生贄本は珍しく、MF文庫Jの新人賞作品『ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート』に決めたから! もう、ビターなんだかスウィートなんだか、どっちかにしろって感じが気になって気になってさぁ。つい読んじゃったわけだけど、いやぁ、新人にしては珍しくセンスある作風で、わたしゃビックラこいたよ。うん、これはもう“もっと評価されるべき”*1とかってタグが付いてもおかしくない作品だと思うぞ」
 あなたが変なテンションで紹介してると、むしろ周りから“うp主は病気”*2とかタグつけて言われないか、そちらの方が心配で仕方ありませんよ。それにえーと、私の記憶が確かなら、今日はジョー・ヒルの『20世紀の幽霊たち』について語り合うってな予定だったと思ったんですけど……。なんで急にそんな話になってんです?
「だってさ、この本まだ、“まいじゃー推進委員会”でも“好きなら、言っちゃえ!! 告白しちゃえ!!”でも“平和の温故知新@はてな”でも紹介されてなかったからさ。プッシュするなら今のうち! というかぶっちゃけ、『今ならでっかい事できる気がする!!』と思ったわけ。わかるだろ?」
 そんな、“1巻しか出てないのにアニメ化が決まってしまったギャグマンガの表紙”*3みたいなこと言われても……。それに、あの人たちは忙しいから採り上げてないだけで、ラノベ界隈では既にじわじわ評価が高まってるんじゃないですかね。deltazuluさんなんかも、大分前に褒めてましたし。これだから、ものを知らずに盛り上がってる人ってのは本当にタチが悪い……。
「ほっとけ。まぁ、それはさておいても、割と読ませる作品であったのは事実だし、紹介するなら今のうちにしておかないとな。大体、個人的な意見としては、今のところ口コミ以外でこの作品が売れる要素って、あまり見あたらないしさぁ。片仮名だらけで覚えにくいタイトル、ギターを抱えた少女のカバー絵、そして『せつなさはロック』という音楽要素を前面に押し出したキャッチコピー。流石に、これでバカ売れしたとしたらスゲーと思うぞ」
 ライトノベルの読者層と軽音って、相性悪そうですしね。純粋な音楽小説だって誤解を生むと、その時点でもう、手に取ってさえもらえない可能性があると思います。販売上の戦略としては、失敗じゃないかな。まぁ、これは単に私たちの偏見かもしれませんが。
「イラストも、折角『狼と香辛料』で話題になった文倉十を起用してるのにな。勿体ないというか、何というか」
 個人的には、京都出身の作家さんということで、同郷のものとして応援してあげたいと思うんですがね。
「そうそう。結構京都らしい場面も出てくるしな。たとえば『お姉ちゃんは女子校や女子大のある坂をぐいぐいぐいとのぼっていく。このままいくと山道に入るらしい。(P.230)』って、この一文読んだだけで、京都市内に住んでる人間ならすぐ、あぁ、東山七条の『女坂*4』だなって判ったりするし。俺、結構あの辺の山道を学生時代に自転車で山越えしてたんだけどさ、夜なんか半端じゃなくこえーのよ。あの山の近く、国道1号の途中に東山トンネルって大きいトンネルがあるんだが、その脇にひっそり歩行者専用の小さなトンネルがあるんだな。ここ、1日に何人も通らない場所だと思うんだけど、ここがさぁ、超有名な心霊スポットなわけ。まず入り口の付近に来ると気温が一気に体感5度くらい下がるし、天井からは涌き水がコンクリートから染みだしてきていてポタリポタリと落ちてくる。そして、ブーンという唸りが突然止まったかと思うと、電灯が不規則に点いたり消えたりする……。最後に、ちょうどタイミングよくトンネル内を風が音を立てて吹き抜けたりするともうサイコー。蒸し暑い夏の夜だったら、体温が一気に下がって、吹き出してた汗が一瞬で冷たいものに変わるから。霊感とか抜きにしたとしても、不気味な場所だというのは間違いないね」
 でも、あのトンネルの辺りでも明かりがあるだけマシでしょう。山道の方に上ったら、本当に真っ暗ですよ、あの辺り。そんなところで夜に音楽活動してたら、それこそ怪異譚ですよ。ましてや、首なんか吊ろうものなら、それこそ誰にも発見されないままになっちゃうんじゃないですかね?
「ま、そんなわけで、本書は個人的に音楽ジャンルの作品としてよりは、むしろ幽霊譚とかゴーストストーリーなホラー作品として読まれるべきものだと思うんだけどな。3話目の、林間学校中の旅館で1人ずつ神隠しに遭っていく藤原くんの話なんかはまさにそう。ましてや、それ以前の、烏子と神野君の話や、明海と実祈の話なんか。それぞれ、日常と少しずれたところで起こる不思議話みたいなノリってことで十分いけるし、作品を紹介する上でもそこを強調した方がむしろいいんじゃないの」
 というわけで、一応ストーリー紹介……に変えた一部を引用しましょうか。

「僕にとって烏子は本当にかけがえのない親友だった。これは拷問にかけられたって否定しやしない。でも、もし僕が狂っていて、ありもしない事件を捏造していて、勝手に三年前に存在しないクラスメイトを殺したって思いこんでるだけだったら……。本当は荒川烏子なんてどこにもいなかったのだとしたら……」
 冷めたカフェラテを飲み干した。かすかにただれたシナモンのフレーバー。
「私は信じるよ」
 その一歩先に踏み出すには勇気がいった。
「だって、私もその子を殺したから。小学生のときに」

(P.63)


 ここだけ抜き取ると、なんだか桜庭一樹の『少女には向かない職業』みたいな展開なのかと思われるかもしれませんけどね。少年少女による、不可避だった殺人行為って点において、両者は似てるから。ただ……。
「ただ問題は、この烏子=実祈が復活することなんだよな。殺されて記憶を喰われるだけの存在『イケニエビト』と、それを追い詰めて捕食する『タマシイビト』。どちらもこの世ならぬものだから、その存在が地に足ついてないのは仕方ないのかもしれないが、それにしたって客観的には殺人なんだっていう深刻さが全く感じられないのが、本作の最大の弱点だろう。殺してるんだぞ、こいつら。人(の形をしたもの)を。もちろん裏を返せば、それこそが作者の良心でもある、となるわけだが」
 それから、これは記憶に関する部分についてですけど、この点でもちょうど前回採り上げた平山瑞穂の『忘れないと誓ったぼくがいた』とベクトルが異なりますよね。周りのみんなが一人の少女に関する記憶を忘却していく。ワスチカの主人公の場合、それに必死の抵抗をみせるのだけど、運命の前にその両腕はあまりに無力だったわけでしょう。けれども本作では、目に見える“悪意”に文字通り武器を持って抵抗しようとする……。ましてや、その“悪意”としての『タマシイビト』でさえ、その本質には無自覚で、どこまでも無邪気に描かれてるし。悪人がどこまでも存在しないんですよ。この話。
「そこが、桜庭一樹との最大の相違なんだろうがね」
 せっかく神野君が、『自分は狂ってるかもしれない』っていう面白い問題提起しているのに、それをあっさり否定したりしちゃいますしね。全く勿体ない。そういう"記憶の齟齬と認識の差異"って、かなり私好みの題材なのになぁ。
「いや、でもなかなか面白い部分もあったぞ。ほら、それが作者・森田季節なりの“紅茶に浸したマドレーヌ”なわけだが……」

ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート (MF文庫 J も 2-1)ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート (MF文庫 J も 2-1)
森田 季節

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*1:ニコニコ大百科「もっと評価されるべき」

*2:ニコニコ大百科「うp主は病気」

*3:涼宮ハルヒちゃんの憂鬱 (1) (角川コミックス・エース 203-1)

*4:知る人ぞ知る、京都の裏・観光名所。付近には「京都幼稚園」から「京都女子大学大学院」まで全年齢対応の各種学校が設置されているため、登下校時には相当数の女学生たちで溢れかえることで知られる、すごい場所。

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消えていく存在、失われていく記憶。新スタンダードな平山瑞穂版"100%の恋愛小説"「忘れないと誓ったぼくがいた」


「生き残りたい、生き残りたい、まだ生きてたく〜なる〜♪*1
 アニメを見てテンション上がり気味のタカオさんが、機嫌良く鼻唄交じりにこちらを振り返りました。
「週1回更新を目指していたはずなのに、気がつけば、もう1ヶ月経っちゃったなぁ。仕方ないから、そろそろ生存報告しとかなきゃ」
 いやまぁ、ネットもそうですが、それ以前にリアルでも色々ありましたからねぇ。突然車がぶつかってきて救急車で運ばれたり。……タカオさん、ホントよく生き残ったよね。手足の擦過傷だけで済んでるもんだからこっちがビックリしましたよ。
「まぁね。会社の人間にこの事を話したら、一様に笑われたけどな。『さすがにお前でも、車とガチンコ勝負じゃ負けるか』って、人をなんだと思ってるんだか、まったく」
 でも、実際、病院にも殆ど行かなかったじゃないですか。通院しないモンだから、保険が全然おりないし……。
「医者も医者なんだよな。2日後に診てもらいに行ったら、『あれ!? タカオさん、もう治ってますよ。凄いや。よかったですねぇ。アハハハ』……って、治すのは俺じゃあなくて、アンタらの仕事だろう、と。そりゃ、通院する気もなくすぞ」
 とにかく、リアルでは何とか無事生き残れたって事で、ひとつ。今度はネットで生き残れるかどうかが問題ですけども……。
「いや、メジャー指向で行ったりするつもりは元々皆無だからさ。基本的に、数字的なことよりもむしろ、みんなの記憶に残ることが書けるかどうかが問題だと思うわけで。"BAD_TRIP"? あ〜、そんなサイトもあったね。――それで充分じゃん」
 今のままじゃ、それすらも危ういと思いますよ。もっと真面目にやってくださいよ。……そんなわけで今回の課題図書は、記憶と記録を巡る初恋青春小説、平山瑞穂の第2作「忘れないと誓ったぼくがいた」です。ようやく平山瑞穂文庫落ちしましたね。単行本刊行時熱烈プッシュしてた身としては、ちょっと懐かしいし、嬉しいです。
「なんで処女作でファンタジーノベル大賞受賞作の『ラス・マンチャス通信』の方が先に出ないんだ――、と思ってたら、そっちは角川文庫で出てたんだな。とりあえず安心した。でも、なんで角川? もしかして"ラスマン"みたいなダーク作品は角川持ちで、本作("ワスチカ")みたいな爽やか作品は新潮持ちなのか。知らないところで、黒ミズホと白ミズホとが棲み分けされているってことはないよな」
 いくらなんでも、乙一じゃないんですから。でもまぁ、色々あるんじゃないですか、そこんところは。ワスチカはまだ一般小説としてヒットする要素というか余地はあると思いますが、ラスマンではもうそれすら難しいと思いますし。でも、作品的な完成度という点では、圧倒的にラスマンの方が勝ってるんですけど。何というか、あれにはオンリーワンな魅力がそこかしこに横溢してましたからね。
「それじゃあ、俺たちは今回、なぜラスマンではなく、わざわざワスチカを採り上げているのかって話になるわけだが……」
 それはもちろん、懐古主義ってところからですよ。文庫落ち、再読。この一連の流れが、まさしくワスチカ自体の内容と凄くオーバーラップしてくるからです。徐々に失われていく「記憶と存在」。それに抗う少年の苦悩。そして、残される記録媒体。誰もが持ってる初恋のほろ苦さみたいなのも相まって、良い作品に仕上がってると思います。10代のリアルな学生時代に本書を読むのと、それを過ぎた20代でこれを読むのとでは大きく感想が異なるでしょうけどね。手元に置いておいて、気が向けばまた冒頭から読みたくなるような、そういう作品ではあると思います。
「ただ、今回の装丁については大いに不満がある。担当者は、本当に中身読んだのか? なんで単行本時みたいに、写真装丁を使わないんだよ。いや、むしろ単行本時の装丁でいいじゃん。なんでわざわざイラストにするの。意味、判ってないの?」
 そこは色々事情があるんでしょう。残念ですけど、つっこんであげるのは止めましょうよ。空しくなるだけですよ……。
「内容的には、もうあまり語る気がないというか、2年前に佐久良タンが"新装版"で書き切っちゃってるので、それ再録して終わっておくよ*2。(→リンク)PCゲーム『ONE』や村上春樹ノルウェイの森』との類似点とか、そのまま過ぎて改めて読むとどうだろうって気になるけどさ」
 『忘れないと誓ったぼくがいた』って、やっぱり、タイトルが一番いいですよね。だって、ぼくが『いた』なんですよ。既に過去形なの。この2文字の中に「感傷」とか「諦念」とか「青春の蹉跌」とかが含まれてるんです。それがたまらなく悲しいし、また愛おしいと思うのですよね。私なんかにしてみれば。
「ただこの小説、再読だとどうしても結論が判ってしまってるが故か、中盤の展開が冗長に思えるんだよな。主人公は少女のことを忘れまいと必死に抵抗するんだけど、そこからがスッゴク長く感じた。新事実が一切現れなくて、消えて、また現れて、を繰り返すだけになってるのがいけないのかも。初読時は意識しなかったけど、そこだけはちょっと残念だったかもしれない」
 青春小説、ってのは、基本的に再読に堪えるものでないといけませんからね。まぁ、そこは流石に、作品の特性上仕方ないことだと思いますが。
「なにはともあれ、今回の文庫落ち平山瑞穂も無事、読者に対して生存報告できたわけだし、また新作出して欲しいモンだね。さて、それじゃあ今からラスマンの再読を始めるか」
 興味なさそうに話題を打ち切ると、タカオさんはまた読書にとりかかり始めました。ほんと、交通事故にあったからって、あまり家の中に引き籠もって欲しくないものです。まったく。

忘れないと誓ったぼくがいた (新潮文庫 ひ 27-1)忘れないと誓ったぼくがいた (新潮文庫 ひ 27-1)
平山 瑞穂

新潮社 2008-07-29
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ISBN:9784101354811

*1:TVアニメ「マクロスF」新OP曲「ライオン」より。良い唄ですね。

*2:相変わらず、タカオさんは新装版時のログを全て再UPしてくれません。
「需要があれば考える」とは本人の言。今更読みたいっていう、そんな奇特な人、いますか? いれば、再考してみる、ってことらしいです。

日本のラノベ読者よ、死を想え。謎多き作家・唐辺葉介による戦慄のデビュー作「PSYCHE」


「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している!」
 タカオさんがガッチガチの胸を張って、何かの本の受け売り*1を偉そうに語っていました。*2
「といっても、一回言ってみたかっただけで、別に深い意味は全くないんだが」
 生と死の話を始めると、深みに嵌まるだけで抜け出せなくなってしまいますからね。というか、冒頭でそんな言葉を引用されると、話を膨らませようがないので、ハッキリ言ってこちらが困ります。それに大体、死ぬことも不思議ですけど、生きてるって事も充分不思議なことなんですから。
「では、訊こう。死が、自己の意識の永続的な喪失とイコールなのだとしたら、一時的かつ断続的に意識の停止状態が生まれる“眠り”とは、一体どこが違うと思う?」
 えっと。シェイクスピアは、『ハムレット』の中で「死は眠りにすぎぬ」と言いました。シェリーは長詩"Queen Mab"の中で「死と眠りは兄弟*3」という表現を残しています。両者の違いについてですが、結局は、“目覚め”が在るか無いかの単純な違いに過ぎないのではないでしょうか。
「ふむ。いま、佐久良タンが引用した『ハムレット』のセリフには続きがあるよな。『死は眠りにすぎぬ――それだけのことではないか。眠りに落ちれば、その瞬間、一切が消えてなくなる、胸を痛める憂いも、肉体に付きまとう数々の苦しみも。願ってもないさいわいというもの。死んで、眠って、ただそれだけなら! 眠って、いや、眠れば、夢も見よう。それがいやだ。この生の形骸から脱して、永遠の眠りについて、ああ、それからどんな夢に悩まされるか、誰もそれを思う――いつまでも執着が残る、こんなみじめな人生にも。*4』」
 ええ。このときハムレットは、“死後に見る夢”をおそれて自殺しないんですよね。「その気になれば、短剣の一突きで、いつでもこの世におさらば出来るではないか。それでも、このつらい人生の坂道を、不平たらたら、汗水たらしてのぼって行くのも、なんのことはない、ただ死後に一抹の不安が残ればこそ。旅だちしものの、一人としてもどってきたためしのない未知の世界、心の鈍るのも当然、見たこともない他国で知らぬ苦労をするよりは、慣れたこの世の煩いに、こづかれていた方がまだましという気にもなろう。*5」――死後の夢、という発想は、なんだか自分の人生が永遠に続いているようで、それはそれで怖くもあるのですけれども。 
「仮に、死後もまた夢を見る、というのであれば、いったい誰が"自分は生きている"と自信をもって断言することができるのだろうね。生と死の相違、現実と夢との差異。それらは一体どこにある?」
 それこそが、荘子の「胡蝶の夢*6に他ならないんでしょう。敢えて言うなら、それは「現実感」のおもさ、でしかないんじゃないでしょうか。――というわけで、今回の一冊は、唐辺葉介PSYCHE(プシュケ)」です。テーマが「胡蝶の夢」とは、また大きく出たもんですね。
「"psyche"って単語自体が"蝶"って意味だからなぁ。また、"魂"という意味でもある。勿論、ギリシャ神話の話も。あと、サイケデリック("psychedelic")とかの語源なので、"幻覚的"ってニュアンスも含んでるんだろうけどね。多義的なことばをタイトルにするのはいいけれど、あまり馴染みがない単語の場合、一般読者には敬遠されるぞー」
 モルフォ蝶を意識して、本の背や帯、表紙の文字なんかには綺麗な青色が使われているんですね。しかも、イラストは冬目景。今回はスクエニの本気を見せつけられたような気がします。
「モルフォ蝶……ねぇ。世界で最も美しい蝶、とか言う人もいるけどさ、個人的には『ウルトラQ』の巨大化チョウのイメージしかないなぁ」
 そんな人は、絶対少数派なんだと思いますけど。まぁ、タカオさんがマニアックな独自路線を歩む人だってのは、今に始まったことじゃないので、別に構いはしませんけどもね。
「どうしたら もとに戻る?」
 もう戻らないよ*7――だから、そういうセリフ回しとかがいかんのですよ、と。
「冗談はさておき、狂気に至る象徴の色が“青”だというのは、なかなか珍しいと思わんか。冬目景の「羊のうた」でも始まりは“赤”だったしさ」
 あの作品は、赤色がというより、純粋に“血”のメタファーなんですよ。でもまぁ通常は、狂気の色といえば、普通“赤”でしょうけどね。「仕舞には世の中が真赤になつた」と漱石も『それから』のラストで書いてたりしますし。宮沢賢治の詩「眼にて云ふ」の中にも、死に際の血の赤色と美しい青空の比較がされていたりしたでしょう。*8
「いや、本書の場合、色の用い方が珍しいというのもあるけど、ただそれだけじゃなくて、それを巧くメタファーとして使用していた場面もちゃんと作中にあったぞ。えっと、例えばここ」

「佐方にはおかしなものが見えてるんだよ。違うものが見えてるんだよ」
 違うものが見えてる?
「そう、それは構造色だ。お前は頭がおかしいんだ」

(P.202)

そして部屋には僕と大量の蝶たちが残される。藍子が何を言おうが、どうでもいいさ。どうせ僕には、自分が見ているものしか見ることが出来ないんだ。

(P.233)


「……悪い。間違えた。ここじゃなかった。えっと、ここだよ」

 空を眺めながら歩いてふと思った。僕にとって青は胸の奥の方まで通り抜けるような涼やかな感じのする色だけれど、皆は同じように感じているのだろうか。僕の心にうつる青の感じと、人に見えている青の感じは同じなのだろうか。

(P.35)


 あ〜なるほど。わかりますよ。ちなみに私には、どことなくですけど、青色は主人公の内側の世界を象徴している色なんじゃないかと思うんですよね。つまり、引き籠りの色。参考ですが、こんな文章もありましたし。

 そこで僕は目が覚めた。
 僕は白い布団をかけられて寝かされていた。そして頭上には白い天井が覆いかぶさっている。四方をとり囲む壁も真っ白で、部屋にいる女性も男性も白い服を身につけていた。白は嫌いな色ではないけれど、こんなにも氾濫しているとまるで病気みたいで気が滅入ってしまう。窓だけが真っ青な空をうつし出していたので僕はその青に視線を逃がした。空の向こうには太陽が輝いている。

(P.195)


「青=空=意識の被膜という構図であるならば、その外側に存在するのは何なのか。空の向こうにあるのは太陽で、それが作中たびたび登場しているのは、すぐに気づけるだろ。で、その太陽が実は死のメタファーになっているというのが、この物語では非常に重要な意味を持っているわけだ。」

夕陽のオレンジ色が差し込むその部屋に、死んだはずのみんながいた。

(P.14)

「そっくり? あの主人公って殺人者じゃないか」
「そうだけど。ねえ、だって、『太陽がまぶしいから殺した』ってすごくいいセリフだと思うんだ。いかにもナオが言いそうな言葉だよね?」

(P.60)

何もかもがオレンジ色だった。空も、地面も、建物も、道行く人も全て一色に染まっている。

(P.148)

「変な時間にごめん」
『いや、別に。いまちょうど朝日まで起きてようかどうか考えてたところだ』

(P.157)

血のように真っ赤な光がそこら中のすべてのものを染め上げている。世界中がケチャップの煮物になってしまったみたいだ。

(P.210)

僕は夕陽を見るたび、こんなに小さかったかなあと不思議な思いがする。子供のころはもっと大きく見えていたはずなんだ。
じっと見つめていると、吸い込まれそうな気分になった。このまま太陽に吸い込まれたら、どこに行くんだろう。

(P.207)


 “人間には直視できないものが二つある。それは太陽と死だ。”(ラ・ロシュフコー)というわけですね。『異邦人』の主人公ムルソーのセリフの引用は、ちょっと違うような気もしますけど……。でも、私のこの仮説どおりだとすると、世界観は一応矛盾なく説明できそうな気がしますね。

「いや、まだだよ。まだ、主人公が描こうとしてる“絵”の問題が残ってる。自分の意識の中の存在がさらに、その意識のありのままを記録あるいは媒体としてキャンバス上に表象しようとしたら、そこに浮かび上がってくるのは、一体なんだ?」

 ……それはやはり、形を成さない意識そのままの“何か”じゃないですかね。抽象画というと聞こえはいいかもしれませんが。というか、そんな事、本当にできるんでしょうか。もし、そんな作業を繰り返し行おうとしている者がいるとすれば、少し正気を疑ってしまいますし、その作品もやはり狂った作品であるような気がします。ヘンリー・ダーガーみたいな? いや、それよりもっとグロテスクな――「気持ち悪い」作品が。

「いやまぁ、下層意識の世界を具象画として描くことは当然可能だろう。ただ、それを上層意識の者からの目線で見たとき、ひどく歪んだ奇妙なものに見えるんだろうな、とは想像してしまうわけだが」

 というわけで、一応、この作品についての私たちの解釈は出そろいましたかね。何だかんだいって長くなってしまいましたが、タカオさんは結局、この作品読んで、どう思いましたか?

乙一だったら、こんなの短篇でサラリと書くんだろうな、ってくらい? あ、あと、物語のイメージから浮かんだイラストは、冬目景というよりむしろ、安倍吉俊の方が近いだろうと思っただけ。意識をキャンバスに定着させる話*9や、クオリアのくだり*10は必要以上に思考が似通ってたと感じたしな」

 というか、それって単に「PSYCHE(プシュケ)」っていうタイトルが、「serial experiments lain」に登場した「プシューケー プロセッサ」を連想させたってのが、正直な理由なんじゃ……。*11

「それ以外だと、藍子の存在の仕方が面白かったかな。物語が進行するに従って、こいつの立ち位置が徐々に変わっていくのがわかるからさ。“パズルを解かないととまらない目覚まし時計”とかサイコー。もちろん言うまでもなく、あれもメタファーの一つなんだけどさ。他には、SF的な発想でいくと、当初は死んだ家族と暮らす話だと思わされたのでダン・シモンズの短篇「黄泉の川が逆流する」みたいな話ととらえてたわけさ、オレは。で、藍子もその延長なのかと思いきや、読み進めたら実はレムの「ソラリス」っぽい内容だった、というのが意表を突かれたって程度か。作品自体としては、こんなに長々と話をする程の内容でもなかったと思うけどな……」

 そう言い残すと、話疲れたのか、タカオさんは不意に部屋を出て行き次の生贄本を物色し始めました。お願いなので、次はもっと話をしやすい作品を選んでもらえると嬉しいのですが……。
 というわけで今回も、最後は引用で失礼します。ただし「ソラリス」の。タカオさんの指示により旧訳版ですが、気にしちゃダメですよ?

「どうして? まあいい。でもよく聞け、きみは承知しているのだろうが、実際にはきみはきみじゃないんだ。ぼくの一部だ」
「そんなことがあるものか。これは現実にぼくだ。きみが学者ぶりたいなら、これはもう一人のぼくだと言ってもいい。しかし無駄口をたたいてもはじまらない」
 (中略)
「きみはギバリャンではない」
「そうかね? それなら誰なのだ? きみの夢だというのかね?」
「ちがう。きみは連中のあやつり人形だ。しかしきみ自身はそのことを知らされていない」
「それなら、きみは自分がどういう人間かということがどうしてわかるのだ?」

――スタニスワフ・レムソラリスの陽のもとに」(ハヤカワ文庫)

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*1:具体的には勿論、村上春樹ノルウェイの森

*2:ちなみに、この一文の元ネタは、葵せきな生徒会の一存」シリーズ(「碧陽学園生徒会議事録」)の定型句
 「会長がいつものように小さな胸を張ってなにかの本の受け売りを偉そうに語っていた。」

*3:原文は、"How wonderful is Death, / Death, and his brother Sleep!"
 この言葉を引用したミステリとして有名なのがピーター・ディキンスン「眠りと死は兄弟(原題:Sleep and His Brother)」

*4:ハムレット」第3幕第1場より。有名な"To be, or not to be: that is the question:" 以下に続く長セリフの一部。
 原文 "That flesh is heir to. ‘Tis a consummation Devoutly to be wished. To die, to sleep, To sleep ― perchance to dream. Aye, there’s the rub! For in that sleep of death what dreams may come When we have shuffled off this mortal coil, Must give us pause. There’s the respect That makes calamity of so long life,"

*5:同上。なお、引用した訳は全て新潮文庫の福田恆有 訳。
 原文 "That patient merit of the unworthy takes, When he himself might his quietus make With a bare bodkin? Who would those fardels bear, To grunt and sweat under a weary life, But that the dread of something after death―The undiscovered country, from whose bourn No traveler returns ―puzzles the will, And makes us rather bear those ills we have Than fly to others that we know not of?"

*6:荘子』斉物論より。
 「昔者、荘周、夢に胡蝶と為る。栩栩然として胡蝶なり。自ら喩しみて志に適うか。周なることを知らざるなり。俄然として覚むれば、則ち遽遽然として周なり。知らず、周の夢に胡蝶と為るか、胡蝶の夢に周と為るか。周と胡蝶とは、則ち必ず分あらん。此れをこれ物化と謂う。」
 (昔者莊周夢為胡蝶,栩栩然胡蝶也,自喻適志與,不知周也,俄然覺,則蘧蘧然周也,不知周之夢為胡蝶與,胡蝶之夢為周與,周與胡蝶,則必有分矣,此之謂物化,)

*7:冬目景羊のうた」より八重樫さんの超絶名セリフ

*8:「たゞどうも血のために / それを云へないがひどいです / あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが / わたくしから見えるのは / やっぱりきれいな青ぞらと / すきとほった風ばかりです」

*9:安倍吉俊「SCRAP」より。
 「頭の中にある主観的な自己と紙の上に現われた客観的な自己との間に対話が生まれ、絵を描く間ずっと続くその長い対話によって、描き手自身がどこかに運ばれてゆく。その『運ばれてゆく』感覚というのが、絵画でも映画や小説においても、人の心を動かす『何か』の正体なのではないかと僕は考えています。 描き慣れて先を読む力がつくにつれて先の読める描き方をすれば楽に描けてしまうことがわかってきました。その分、画面と対峙した時により深く自分の内面に潜ってゆかなければ、自分をどこかに運んでゆくことができなくなったとも言えます。」

*10:安倍吉俊「回螺」あとがき参照。長文なので今回は引用しません。

*11:このときは、「PSYCHE」から「lain」を連想する人なんていないだろうと思っていたのですが、言及している方はやっぱり居ました

狂っているのは、世界かそれとも彼女の方か。田中ロミオが挑む、初の学園ラブコメ小説「AURA 〜魔竜院光牙最後の闘い〜」


「高校時代、同じ学年の男子に、植物と話ができるって噂のヤツが居てさぁ」

 手元の文庫本を、読み終えた本で出来た山の一番上に乗せると、タカオさんは突然話を始めました。

「まぁ、俺とは違うクラスだったし、直接そいつと会話したこともなかったんで、そのとき俺自身としては、変な噂が流れてるもんだなぁとしか思わなかったんだけどさ」

 えっと。草木と話をする人って、別に珍しくもないんじゃないですか。私の周りにも、育ててるサボテンに毎朝声をかけてる人とか、実際いましたよ? 何かのセラピーとかでも、そういう行為に一定の効果があるって、耳にしたことがありますけど。

「違うって。俺はいま、話が『できる』って言ったの。つまり、会話や対話の類だな。こちらが一方的に話すんじゃない。相手の声が聞こえる、自分の意思が伝達できる、相手の気持ちが理解できる。そういう双方向性を持った一連の動作を、その男子は可能らしいっていう、そういう話を聞いたの」

 はぁ。流石にそれは、少々突飛な感がしますね。

「でもまぁ、俺の出身高校はわりと長閑な校風だったからさ。そのことが原因でいじめに発展したりすることもなかったようだし、そいつは、ちょっと変わった"芸風"を持ったヤツって位置づけをされるにとどまっただけみたいなんだけどさ」

 でも、会話ができるってのは凄いですね。羨ましい。ちょっと憧れてしまいます。

「あれも、妄想戦士(ドリームソルジャー)の一人だったのかね……」

 いや、それは即断できないでしょう。本人が自覚的に嘘をついていたのならともかく、そうでないのであれば、こちらがその事実を検証するのは不可能なのだから、一概に、私たちの側がそれを否定することはできないように思います。それに、人間同士でも同じことでしょう。なまじ中途半端にことばが理解できるがゆえに見えなくなっていますが、相手の意思を本当に自分が十分理解できているのかなんて、結局誰にもわからないんですから。それは、ある種の“信仰”に近い問題です。人同士でさえ意思の疎通がはかれるかどうか怪しいというのに、相手が植物だからといって無理な話だと決めつけるのはどうかと思いますよ……。

「いやいや、そんな哲学的な話はここではおいといて。それに、佐久良タンの今の話をまともに考えだしたら、世の中、精神病の患者は一人もいなくなっちゃうよ。その人が狂っているとは、誰も証明できなくなるからさ。ロラン・バルトも書いてるだろう。『自分の目にわたしは気のふれたものと映る(わたしは自分の錯乱のなんたるかを識っている)のだが、他人の眼にはただ変わっているだけと映るだろう。わたしが自分の狂気をいたって正気に物語っているからだ。』*1……」

 『恋愛のディスクール・断章』ですね。実際、狂気に陥った人に「あなたは狂ってますよ」と説明するのは非常に困難なんですよ。ましてや、その説得に失敗すると大変ですから。結果的に、より意固地になっちゃいますので。これなんかは、心理学における“ブーメラン効果”の一例ですね。

「そんなわけで、話を進めると、今回は、ちょっとおかしな女の子と、その子に翻弄される主人公のドタバタを描いたラブコメディ『AURA』を読んだわけ。佐久良タンはこれ、一体どう読んだのかね?」

 概ね、これはまぁ、面白いと言っても問題ないんじゃないでしょうか。ただ、手放しでこれを褒めてしまうのはどうかと思いますけど。なんと言いますか、こう、喉の奥に小骨が刺さったままのような、あるいは隔靴掻痒のような、そういう読後感がしました。

「出版社側は、田中ロミオが学園ラブコメを書いたってことを売りにして販売している節があるけど、果たして、本当に田中ロミオはこの作品を書きたかったんだろうか。いざ“あとがき”を読んでみても、不満と皮肉が見え隠れした文章なもんで、『プロの作家は大変だなぁ』と思わず遠い目になってしまったんだが……」

 まぁ、作者の胸の裡はともかく。ストーリーはシンプルだし、アイデアも突飛過ぎるものじゃないから、評価されるとしたら、それはやはり作者の「語り口」にあるのだろうと思いますよ。言いかえれば、作者の手腕というやつですか。流石はPCゲームのシナリオライターが本業というだけあって、男子高校生の一人称文体はお手の物ですね。テンポは良いし、読んでても殆んど苦になりませんでした。

「ネットの感想サイトを見ていると、どこも大体"スクールカースト"と"邪気眼"の2大ネタ小説って扱いみたいだがね」

 深夜の校舎内で出会った魔女の格好をした女の子。主人公はその少女に不思議の一端を見出し、再会することを望むが、事件はそのわずか1秒後に起こるのだった。彼女はなんと、入学式以来ずっと不登校のままだったクラスメイトの佐藤さんだったのだ。深夜の学校内では神秘的だったその少女の姿も、平日昼間の学校内ではただの変人コスプレ女にすぎず、主人公の佐藤くんは、彼女の取扱に右往左往。中学時代の痛すぎる自分の過去を見せつけられているようでもあり、苦難の日々が始まるのでした。……という話ですね。

「出会いにしろ、結末にしろ、連想するのはやっぱり、PCゲーム『Kanon』の舞シナリオなんだよな。夜の学校に忘れ物を取りに行って、その途中で何かと闘う少女と出会う。で、紆余曲折あって、物語は収まるべきところに収まる。違うところは、舞には佐祐理さんがついてるけど、佐藤良子には誰も友達がいないって点と(子鳩さんは良い線いってるけど、やっぱり“友達”ではないので)、彼女は妄想戦士でしたっていう部分なだけなんだけど。それにほら、ちょうど『Kanon』の作中にはこういうセリフがあったしさ」

もし夢の終わりに,勇気を持って現実へと踏み出す者が いるとしたら,それは,傷つく ことも知らない無垢な少女の旅立ちだ。

 『AURA』でもこの一文は通用すると思いますね。なぜなら、佐藤良子は傷つかないんですよ、自分内にもう一人の自分を設定しているから。周囲に不満を持ったとしても、間違ってるのは“世界”の方だと思い込んでいるので。まぁ、当然のことながら、そんなのがいつまでも維持できるはずがなくて、途中で破綻するんですけど(P.244)、そのせいで、自分の中の“世界”を取り戻すために神殿を完成させようと急ぐわけです。まぁ、結局、彼女の思惑通りにはならなくて、ハッピーエンドってことにはなるわけなんですけど。

「で、問題はその、神殿作りなんだけどな。これ、良子は一体、いつから造り始めたんだろうな。本文には、そこのところは、一切書かれてないんだがな」

 

「扉にカギがかけられていて開かない」
「立入禁止だからな。自殺防止で」
「いいや、その情報には誤りがある」
(中略)
「でも、立入禁止だからさ。どうにもならんよ。我慢するか、別の設定を考えるんだな」
「通常任務では必要がないので支障は出ない。が、任務を終え向こうの世界に帰還するためには必要になってくるだろう」
そのうち絶対に行きたい場所ってことか。
「……でもな、勝手に出たら先生に怒られるんだよ。カギだってないし」
「問題ない」
良子が機械杖を操作すると、先端からシャコンと耳かきみたいな金属板が飛び出した。
「それは?」
「マジカルキーピック」
「おい!」
犯罪の香りがした。いや、犯罪の香りしかしない。
「シリンダー内部にこのピックとテンションで魔力を流すことで鍵を突破可能」
「これっぽっちも魔力使ってねぇ! 犯罪テクニックだろ! ダメダメ、没収!」
全て回収した。

(P.131-133)

「<神殿>の構築は、すでに秘密裏に進められている。完成まではもうさほどの時間も必要ないはず」
(中略)
「神殿を建てる予定地はもう決まっているから、あとは作るだけだ。簡単便利だ。居住性は必要ないため手抜き工事でも問題ない。姉歯耐震偽装物件でも構わないのだ」

(P292-293)

 普通に考えたら、古書店に一郎が良子を呼び出した日から、良子が次に登校して一郎と喧嘩するまでの間に着手してるんじゃないですか。で、そのとき「二度と俺に話しかけるな」と言われたのが引き金になって、すぐに屋上に立てこもって完成を急いだ、と。だから2人で最初に屋上手前まで来たときは、まだ着手してなかったと考えるのが妥当でしょう。その間、屋上の錠はついたままですけど、ピッキング道具は一郎が既に没収してしまったので、解錠せずに破壊して侵入した、と。

「やはり、そう考えるわな。そうなると、第2の疑問。良子はなんで、深夜の学校にいたわけ? 今まで一度も登校していなかったのに」

 ……あれ? そういえば、その点については、全く語られていませんね、この作品。化け物と闘っていた……ていうのは、嘘設定ってわけだから、そうなると良子が学校にいる理由がないです。それじゃあ、やっぱり、入学して1週間、夜中の間に神殿を作っていたってことになるんでしょうか。

「じゃあ、神殿については、その解釈でいこうか*2。でも次に、その化け物については、どうなの? これ、結局なんだったのよ。魔女の服はコスプレ、中年男の声は声帯模写ってことになってるけど、あの“情報体”については、解説されてないだろう。煙玉? それはないな、1階で煙玉を使ったら、火災報知機が鳴るんだから」

 それじゃあ、やっぱり作者に続編を作ってもらって、その中で明らかにしてもらうしかないでしょう。それこそ「魔竜院光牙最後の闘い〜新たなる闘い〜」ていうやつで。

「そうなると『トレント最後の事件』*3みたいになるけどな」

 万一、あの情報体が実際の化け物なんだとしたら……そうなると、佐藤良子は本物の異世界人って解釈もできるし、とんだどんでん返しが生まれる可能性もあるんですがね。まぁ、なにはともあれ、今作は、田中ロミオライトノベルに対する愛情、みたいのが感じられる作品でした、ってところでひとつ。てなわけで一応、今回の最後は珍しく、引用で締めておきましょう。

「……強い人間になるつもりだったんだな、きっと。今はいろいろトラウマで正視できないけど、強くなったらそういうのも平気になるはずだ。昔は馬鹿なことしてたなって、すっきりした顔で笑い飛ばせるはずなんだよ。そしたらさ、続きを一気買いして読んでやろうって。いい大人になってるかな、その時の俺。へっちゃらな顔して、ライトノベル読んでやりてぇ」

(P331)

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*1:ロラン・バルト「恋愛のディスクール・断章」(みすず書房)より。
 「恋するわたしは狂っている。そう言えるわたしは狂っていない。わたしは自分のイメージを二分しているのだ。自分の目にわたしは気のふれたものと映る(わたしは自分の錯乱のなんたるかを識っている)のだが、他人の眼にはただ変わっているだけと映るだろう。わたしが自分の狂気をいたって正気に物語っているからだ。わたしはたえずこの狂気を意識し、それについてのディスクールを維持し続けている。」

*2:どうでもいいけど、机でできた<神殿>って、まるで「ネギま!?」のOPみたいですね。

*3:E.C.ベントリー著 創元推理文庫 他。原題 "Trent's Last Case" 海外ミステリの古典的名作。「最後の事件」と言いつつ、その後にシリーズ化されたため、実はシリーズ第1作となった作品。