日本のラノベ読者よ、死を想え。謎多き作家・唐辺葉介による戦慄のデビュー作「PSYCHE」


「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している!」
 タカオさんがガッチガチの胸を張って、何かの本の受け売り*1を偉そうに語っていました。*2
「といっても、一回言ってみたかっただけで、別に深い意味は全くないんだが」
 生と死の話を始めると、深みに嵌まるだけで抜け出せなくなってしまいますからね。というか、冒頭でそんな言葉を引用されると、話を膨らませようがないので、ハッキリ言ってこちらが困ります。それに大体、死ぬことも不思議ですけど、生きてるって事も充分不思議なことなんですから。
「では、訊こう。死が、自己の意識の永続的な喪失とイコールなのだとしたら、一時的かつ断続的に意識の停止状態が生まれる“眠り”とは、一体どこが違うと思う?」
 えっと。シェイクスピアは、『ハムレット』の中で「死は眠りにすぎぬ」と言いました。シェリーは長詩"Queen Mab"の中で「死と眠りは兄弟*3」という表現を残しています。両者の違いについてですが、結局は、“目覚め”が在るか無いかの単純な違いに過ぎないのではないでしょうか。
「ふむ。いま、佐久良タンが引用した『ハムレット』のセリフには続きがあるよな。『死は眠りにすぎぬ――それだけのことではないか。眠りに落ちれば、その瞬間、一切が消えてなくなる、胸を痛める憂いも、肉体に付きまとう数々の苦しみも。願ってもないさいわいというもの。死んで、眠って、ただそれだけなら! 眠って、いや、眠れば、夢も見よう。それがいやだ。この生の形骸から脱して、永遠の眠りについて、ああ、それからどんな夢に悩まされるか、誰もそれを思う――いつまでも執着が残る、こんなみじめな人生にも。*4』」
 ええ。このときハムレットは、“死後に見る夢”をおそれて自殺しないんですよね。「その気になれば、短剣の一突きで、いつでもこの世におさらば出来るではないか。それでも、このつらい人生の坂道を、不平たらたら、汗水たらしてのぼって行くのも、なんのことはない、ただ死後に一抹の不安が残ればこそ。旅だちしものの、一人としてもどってきたためしのない未知の世界、心の鈍るのも当然、見たこともない他国で知らぬ苦労をするよりは、慣れたこの世の煩いに、こづかれていた方がまだましという気にもなろう。*5」――死後の夢、という発想は、なんだか自分の人生が永遠に続いているようで、それはそれで怖くもあるのですけれども。 
「仮に、死後もまた夢を見る、というのであれば、いったい誰が"自分は生きている"と自信をもって断言することができるのだろうね。生と死の相違、現実と夢との差異。それらは一体どこにある?」
 それこそが、荘子の「胡蝶の夢*6に他ならないんでしょう。敢えて言うなら、それは「現実感」のおもさ、でしかないんじゃないでしょうか。――というわけで、今回の一冊は、唐辺葉介PSYCHE(プシュケ)」です。テーマが「胡蝶の夢」とは、また大きく出たもんですね。
「"psyche"って単語自体が"蝶"って意味だからなぁ。また、"魂"という意味でもある。勿論、ギリシャ神話の話も。あと、サイケデリック("psychedelic")とかの語源なので、"幻覚的"ってニュアンスも含んでるんだろうけどね。多義的なことばをタイトルにするのはいいけれど、あまり馴染みがない単語の場合、一般読者には敬遠されるぞー」
 モルフォ蝶を意識して、本の背や帯、表紙の文字なんかには綺麗な青色が使われているんですね。しかも、イラストは冬目景。今回はスクエニの本気を見せつけられたような気がします。
「モルフォ蝶……ねぇ。世界で最も美しい蝶、とか言う人もいるけどさ、個人的には『ウルトラQ』の巨大化チョウのイメージしかないなぁ」
 そんな人は、絶対少数派なんだと思いますけど。まぁ、タカオさんがマニアックな独自路線を歩む人だってのは、今に始まったことじゃないので、別に構いはしませんけどもね。
「どうしたら もとに戻る?」
 もう戻らないよ*7――だから、そういうセリフ回しとかがいかんのですよ、と。
「冗談はさておき、狂気に至る象徴の色が“青”だというのは、なかなか珍しいと思わんか。冬目景の「羊のうた」でも始まりは“赤”だったしさ」
 あの作品は、赤色がというより、純粋に“血”のメタファーなんですよ。でもまぁ通常は、狂気の色といえば、普通“赤”でしょうけどね。「仕舞には世の中が真赤になつた」と漱石も『それから』のラストで書いてたりしますし。宮沢賢治の詩「眼にて云ふ」の中にも、死に際の血の赤色と美しい青空の比較がされていたりしたでしょう。*8
「いや、本書の場合、色の用い方が珍しいというのもあるけど、ただそれだけじゃなくて、それを巧くメタファーとして使用していた場面もちゃんと作中にあったぞ。えっと、例えばここ」

「佐方にはおかしなものが見えてるんだよ。違うものが見えてるんだよ」
 違うものが見えてる?
「そう、それは構造色だ。お前は頭がおかしいんだ」

(P.202)

そして部屋には僕と大量の蝶たちが残される。藍子が何を言おうが、どうでもいいさ。どうせ僕には、自分が見ているものしか見ることが出来ないんだ。

(P.233)


「……悪い。間違えた。ここじゃなかった。えっと、ここだよ」

 空を眺めながら歩いてふと思った。僕にとって青は胸の奥の方まで通り抜けるような涼やかな感じのする色だけれど、皆は同じように感じているのだろうか。僕の心にうつる青の感じと、人に見えている青の感じは同じなのだろうか。

(P.35)


 あ〜なるほど。わかりますよ。ちなみに私には、どことなくですけど、青色は主人公の内側の世界を象徴している色なんじゃないかと思うんですよね。つまり、引き籠りの色。参考ですが、こんな文章もありましたし。

 そこで僕は目が覚めた。
 僕は白い布団をかけられて寝かされていた。そして頭上には白い天井が覆いかぶさっている。四方をとり囲む壁も真っ白で、部屋にいる女性も男性も白い服を身につけていた。白は嫌いな色ではないけれど、こんなにも氾濫しているとまるで病気みたいで気が滅入ってしまう。窓だけが真っ青な空をうつし出していたので僕はその青に視線を逃がした。空の向こうには太陽が輝いている。

(P.195)


「青=空=意識の被膜という構図であるならば、その外側に存在するのは何なのか。空の向こうにあるのは太陽で、それが作中たびたび登場しているのは、すぐに気づけるだろ。で、その太陽が実は死のメタファーになっているというのが、この物語では非常に重要な意味を持っているわけだ。」

夕陽のオレンジ色が差し込むその部屋に、死んだはずのみんながいた。

(P.14)

「そっくり? あの主人公って殺人者じゃないか」
「そうだけど。ねえ、だって、『太陽がまぶしいから殺した』ってすごくいいセリフだと思うんだ。いかにもナオが言いそうな言葉だよね?」

(P.60)

何もかもがオレンジ色だった。空も、地面も、建物も、道行く人も全て一色に染まっている。

(P.148)

「変な時間にごめん」
『いや、別に。いまちょうど朝日まで起きてようかどうか考えてたところだ』

(P.157)

血のように真っ赤な光がそこら中のすべてのものを染め上げている。世界中がケチャップの煮物になってしまったみたいだ。

(P.210)

僕は夕陽を見るたび、こんなに小さかったかなあと不思議な思いがする。子供のころはもっと大きく見えていたはずなんだ。
じっと見つめていると、吸い込まれそうな気分になった。このまま太陽に吸い込まれたら、どこに行くんだろう。

(P.207)


 “人間には直視できないものが二つある。それは太陽と死だ。”(ラ・ロシュフコー)というわけですね。『異邦人』の主人公ムルソーのセリフの引用は、ちょっと違うような気もしますけど……。でも、私のこの仮説どおりだとすると、世界観は一応矛盾なく説明できそうな気がしますね。

「いや、まだだよ。まだ、主人公が描こうとしてる“絵”の問題が残ってる。自分の意識の中の存在がさらに、その意識のありのままを記録あるいは媒体としてキャンバス上に表象しようとしたら、そこに浮かび上がってくるのは、一体なんだ?」

 ……それはやはり、形を成さない意識そのままの“何か”じゃないですかね。抽象画というと聞こえはいいかもしれませんが。というか、そんな事、本当にできるんでしょうか。もし、そんな作業を繰り返し行おうとしている者がいるとすれば、少し正気を疑ってしまいますし、その作品もやはり狂った作品であるような気がします。ヘンリー・ダーガーみたいな? いや、それよりもっとグロテスクな――「気持ち悪い」作品が。

「いやまぁ、下層意識の世界を具象画として描くことは当然可能だろう。ただ、それを上層意識の者からの目線で見たとき、ひどく歪んだ奇妙なものに見えるんだろうな、とは想像してしまうわけだが」

 というわけで、一応、この作品についての私たちの解釈は出そろいましたかね。何だかんだいって長くなってしまいましたが、タカオさんは結局、この作品読んで、どう思いましたか?

乙一だったら、こんなの短篇でサラリと書くんだろうな、ってくらい? あ、あと、物語のイメージから浮かんだイラストは、冬目景というよりむしろ、安倍吉俊の方が近いだろうと思っただけ。意識をキャンバスに定着させる話*9や、クオリアのくだり*10は必要以上に思考が似通ってたと感じたしな」

 というか、それって単に「PSYCHE(プシュケ)」っていうタイトルが、「serial experiments lain」に登場した「プシューケー プロセッサ」を連想させたってのが、正直な理由なんじゃ……。*11

「それ以外だと、藍子の存在の仕方が面白かったかな。物語が進行するに従って、こいつの立ち位置が徐々に変わっていくのがわかるからさ。“パズルを解かないととまらない目覚まし時計”とかサイコー。もちろん言うまでもなく、あれもメタファーの一つなんだけどさ。他には、SF的な発想でいくと、当初は死んだ家族と暮らす話だと思わされたのでダン・シモンズの短篇「黄泉の川が逆流する」みたいな話ととらえてたわけさ、オレは。で、藍子もその延長なのかと思いきや、読み進めたら実はレムの「ソラリス」っぽい内容だった、というのが意表を突かれたって程度か。作品自体としては、こんなに長々と話をする程の内容でもなかったと思うけどな……」

 そう言い残すと、話疲れたのか、タカオさんは不意に部屋を出て行き次の生贄本を物色し始めました。お願いなので、次はもっと話をしやすい作品を選んでもらえると嬉しいのですが……。
 というわけで今回も、最後は引用で失礼します。ただし「ソラリス」の。タカオさんの指示により旧訳版ですが、気にしちゃダメですよ?

「どうして? まあいい。でもよく聞け、きみは承知しているのだろうが、実際にはきみはきみじゃないんだ。ぼくの一部だ」
「そんなことがあるものか。これは現実にぼくだ。きみが学者ぶりたいなら、これはもう一人のぼくだと言ってもいい。しかし無駄口をたたいてもはじまらない」
 (中略)
「きみはギバリャンではない」
「そうかね? それなら誰なのだ? きみの夢だというのかね?」
「ちがう。きみは連中のあやつり人形だ。しかしきみ自身はそのことを知らされていない」
「それなら、きみは自分がどういう人間かということがどうしてわかるのだ?」

――スタニスワフ・レムソラリスの陽のもとに」(ハヤカワ文庫)

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*1:具体的には勿論、村上春樹ノルウェイの森

*2:ちなみに、この一文の元ネタは、葵せきな生徒会の一存」シリーズ(「碧陽学園生徒会議事録」)の定型句
 「会長がいつものように小さな胸を張ってなにかの本の受け売りを偉そうに語っていた。」

*3:原文は、"How wonderful is Death, / Death, and his brother Sleep!"
 この言葉を引用したミステリとして有名なのがピーター・ディキンスン「眠りと死は兄弟(原題:Sleep and His Brother)」

*4:ハムレット」第3幕第1場より。有名な"To be, or not to be: that is the question:" 以下に続く長セリフの一部。
 原文 "That flesh is heir to. ‘Tis a consummation Devoutly to be wished. To die, to sleep, To sleep ― perchance to dream. Aye, there’s the rub! For in that sleep of death what dreams may come When we have shuffled off this mortal coil, Must give us pause. There’s the respect That makes calamity of so long life,"

*5:同上。なお、引用した訳は全て新潮文庫の福田恆有 訳。
 原文 "That patient merit of the unworthy takes, When he himself might his quietus make With a bare bodkin? Who would those fardels bear, To grunt and sweat under a weary life, But that the dread of something after death―The undiscovered country, from whose bourn No traveler returns ―puzzles the will, And makes us rather bear those ills we have Than fly to others that we know not of?"

*6:荘子』斉物論より。
 「昔者、荘周、夢に胡蝶と為る。栩栩然として胡蝶なり。自ら喩しみて志に適うか。周なることを知らざるなり。俄然として覚むれば、則ち遽遽然として周なり。知らず、周の夢に胡蝶と為るか、胡蝶の夢に周と為るか。周と胡蝶とは、則ち必ず分あらん。此れをこれ物化と謂う。」
 (昔者莊周夢為胡蝶,栩栩然胡蝶也,自喻適志與,不知周也,俄然覺,則蘧蘧然周也,不知周之夢為胡蝶與,胡蝶之夢為周與,周與胡蝶,則必有分矣,此之謂物化,)

*7:冬目景羊のうた」より八重樫さんの超絶名セリフ

*8:「たゞどうも血のために / それを云へないがひどいです / あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが / わたくしから見えるのは / やっぱりきれいな青ぞらと / すきとほった風ばかりです」

*9:安倍吉俊「SCRAP」より。
 「頭の中にある主観的な自己と紙の上に現われた客観的な自己との間に対話が生まれ、絵を描く間ずっと続くその長い対話によって、描き手自身がどこかに運ばれてゆく。その『運ばれてゆく』感覚というのが、絵画でも映画や小説においても、人の心を動かす『何か』の正体なのではないかと僕は考えています。 描き慣れて先を読む力がつくにつれて先の読める描き方をすれば楽に描けてしまうことがわかってきました。その分、画面と対峙した時により深く自分の内面に潜ってゆかなければ、自分をどこかに運んでゆくことができなくなったとも言えます。」

*10:安倍吉俊「回螺」あとがき参照。長文なので今回は引用しません。

*11:このときは、「PSYCHE」から「lain」を連想する人なんていないだろうと思っていたのですが、言及している方はやっぱり居ました