読み逃している名作、ありませんか? 貴方に読ませたい、2009年マンガ作品紹介。その1


「やってしまって、それで事が済むものなら、早くやってしまったほうがよい*1

 2年前と全く同じ台詞を壁に向かってつぶやくと、タカオさんは鋭い目付きでこちらを見据えました。

「キミがTwitterなんぞで、いらん事をPostしたりするものだから*2、こうして急遽、私も巻き込まれる羽目に陥ってしまったわけなのだが。これについて、何か弁解のことばでもないのかね? まったく。Twitter読書メーターに依存して、本サイトの存在をおろそかにするとか、一体どういう了見なのかと小一時間……」

 ですので、突然で申し訳ないとは思いつつ、こうして検討会を開いているワケじゃないですか。最近はネタ切れ気味でしたが、ほら、ちょうど今回は、年始に昨年の総括をしていなかったので、この機会にやってしまいましょう! というわけで突発企画、2009年のおすすめマンガ、紹介放題!

「……普通、こんな時期に立ち上げる企画ではないはずなんだがなぁ」

 そんなわけで、私から、おすすめを挙げていきますよ!

環状白馬線車掌の英さん (花とゆめCOMICSスペシャル)環状白馬線車掌の英さん (花とゆめCOMICSスペシャル)
都戸 利津


白泉社 2009-01-19
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ISBN:9784592187073


 はい。それでは、私のおすすめ1作目は、都戸利津『環状白馬線 車掌の英さん』です。2年越しで「別冊花とゆめ」に掲載された読切3編に描き下ろしを加えた1巻完結物。よほどのマンガ好きを除けば、男性読者には殆ど読まれてないのが全く残念な1冊なのですが、これはダントツで昨年の(私の中での)上半期1位を独走し続けた作品でした。これは好き。大好き。

「まず、タイトルで損をしてるとしか思えない。こんな風に“環状線”だの“英さん”だのとついたら、未読の読者は日本のどこぞのローカル電鉄を舞台にした、濃ゆい登場人物が飛び出す人間交差点な話だと勘違いしてしまうじゃないか。舞台のイメージは、むしろ海外なのにな。もったいない」

 ストーリー。市内を巡る環状線の電車・白馬線。それは、場所と場所とを繋ぐ単なる交通手段ではなく、人と人との心を繋ぎ、出会いと別れを新たに導く、奇蹟の電車でありました。電車で働く車掌の英さんは、今日も乗客の人たちに、ささやかな幸せとほんのちょっぴりの奇蹟を与えてくれます。なぜか毎回遠回り側に乗る女性、あるいは、車掌を探している人たち。これは、英さんの電車に乗った人たちの、心温まる物語。

「センスあるコマ割、キャラを彩る優しい描線。暖かな人間群像と相俟って、柔らかな絵柄が読む者の心を温める。才能はあるんだよね、この作者は。第1話なんかも、ネーム段階で相当にページ構成を考えたんだろうなっていうのがハッキリ分かる。ページを捲って『やられた!』と思う事も1度や2度じゃない。そもそも単行本が新書版ではなくてB6版だってところで、版元側の気合の入りようも並々ならぬものだと想像できるし」



この次の台詞が圧巻ッ……!



 電車はまわる。時代は変わる。因果は巡る。人は繋がる。同じ場所を行き来する環状線路面電車は、いつしか、ここではないどこかの誰ともしれない人との出会いを導く。1話目も、2話目も、ストーリーがよく練られすぎてて、最後は少しホロリと涙ぐんでしまうのですよ。

「ラストを読んだら、是非また1話に戻ると良い。この1冊の本自体も、"環状線"の一部だったんだな、と実感できてしまうから。1巻で終わらせるためか、小さく纏まりすぎな感は否めないが、実に良くできた1冊であるのは間違いない。これは、人に勧めて絶対外れない1冊ではある」

 願わくば、これを機に手に取ってみてくれる人が、1人でも居てくれれば、嬉しいのですけどね。


出会いと 別れは 同じだけあるが
一番多いのは"出会わない"だ


自分が乗る前に 降りた人たちや
自分が降りた後 乗る人たちにゃ 会えねぇ


一緒に時を 過ごせるのは
乗り合わせた 人だけだ


だから


ほんの少しでも 乗り合わせたなら
幸運だ

 そういう風に、私たちもまた、本と人との新たな出会いの架け橋となれれば、幸いであります。



*1:シェイクスピア著「マクベス」第七幕第一場冒頭のセリフ

*2:佐久良美晴 2:02 AM Mar 4th

君は、時間を忘れて作品に没頭したことがあるか!? メディアワークス文庫賞 堂々の受賞作。野崎まど「[映]アムリタ」

[映]アムリタ (メディアワークス文庫 の 1-1)[映]アムリタ (メディアワークス文庫 の 1-1)
野崎まど


アスキー・メディアワークス 2009-12-16
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ISBN:9784048682695

「かつて、一世を風靡したゲームがあった。『機動戦艦ナデシコ』の後藤圭二がキャラデザを担当し、後に『攻殻機動隊 S.A.C』でブレイクするProduction I.G がアニメパートを制作したアドベンチャーゲーム平松晶子水谷優子折笠愛森久保祥太郎が声をあてた、あのゲーム。知ってるかね?」

 珍しく、本ではなくゲームの話をはじめると、タカオさんはこちらを振り返りました。

「『やるドラ』シリーズ第1弾、と言った方が有名かもしれないけどな。甘酸っぱい青春物語に見せかけて、その実、選択肢によってはトラウマものの惨殺シーンが出てきたり、ミステリ要素が加わったりする、あのゲーム。サスペンス・ホラーの傑作。わかるだろ?」

 随分、懐かしい作品ですね、そのゲーム……。当然私もやりましたよ、『ダブルキャスト』。選択肢を選んでもすぐに分岐せず、かなり後の方でまとめて枝分かれするものだから、頭の中のチャートが大層こんがらがった憶えがあります。達成率100%はおろか、全EDを見るのもままならなかった、非道いゲームでしたね。――名作ですけど。

「頭に植木鉢喰らったら、即ジェノサイドフラグが立って、館炎上・登場人物皆殺し――というとんでもない展開が待ち受けてるんだよな。オレ、何度喰らったか判んないくらい、ぶつけられてひたすら気絶しまくってたけど」

 しかも、その惨殺エンドだけでも数パターンあるせいで、何回も殺され続けないといけないという……。ちなみに、あの植木鉢って、シナリオを途中から始めると100%回避できるんですけど、そうすると今度は、必要なフラグが立たなくなるのでグッドエンディングが見られなくなってしまうんですよね……。一体誰ですか、そんな極悪な罠を思いついたのはッ!

「『やるドラ』じゃない、『殺るドラ』だ。なんて、思わず上手いこと言いたくもなるわな。*1とにかく死んだ。ひたすら殺されまくった。撮影合宿中に殺され、試写会中に殺され、空き家に呼び出されては殺された。だからオレの中では、大学生の自主制作映画=死亡フラグ、という極端な構造がスッカリできあがってしまってるんだが……」

 ――そんなわけで、今回の課題本は、大学での映画制作サークルが自主制作映画を作る物語・野崎まど*2「[映]アムリタ」です。錚々たる顔ぶれが並ぶメディアワークス文庫(以下、MW文庫)創刊ラインナップに於いて、新人デビュー作というのもさぞや肩身の狭い思いをさせられるだろうし、可哀想なことだなぁと案じていたのですが、読めばもうそんな事は完全に杞憂であったと思い知らされました。この一冊を世に出しただけでもMW文庫は誕生した価値があったな、と素直に感嘆致しましたよ。いやはや、驚かされました。

「会話文を主体とした一人称文体、強烈に個性的なキャラクター、適度に笑いを起こさせて場を弛緩させるボケとツッコミ。そして、数々のことばあそび。初期型西尾維新の再来と思われても仕方ない。だから、むしろライトノベルレーベルで出した方が売れるんじゃないの、という声が上がるのも、むべなるかな。まぁ、どちらにせよ広く読まれるにこしたことはないと思う」

 物語を簡単に紹介すると、大学の自主制作映画に役者として参加することになった二見くん。この映画を監督するのが、天才と噂される謎の美少女・最原最早さん。新たな仲間達との友情がはじまり、順調に撮影は進行する。しかし、やがて二見くんは、ひとつの疑問を抱くようになる。最原最早が自主制作映画を作ろうとしたのは一体何故なのか――。大学青春物語が、ミステリ的な要素を孕み、ついには驚愕の展開へ。ジャンルを横断する予期せぬ展開に、読んでるそばから、心臓がもうドキドキです。また、なんだかんだで、会話中心の通常パートも結構面白かった。ところが、サスペンス要素の印象が大きすぎて、それらのインパクトも全て、読後は根こそぎ刈り取られてしまったのですけど。


■「[映]アムリタ」は、「学園『ビデオドローム』」!?

「さて、話を始める前に、さっき『[映]アムリタ』の作者・野崎まど へのインタビュー*3を見つけたので、とりあえず読んでみた。その中で、この作品は、“学園『ビデオドローム』”だという評が出てきたのだが、この言葉にまず爆笑。いやぁ、考えた人、センスあるよなぁ」

 『ビデオドローム』って確か、『裸のランチ』のクローネンバーグ監督が撮った作品でしたっけ……。私は、よく知らないんですが。

「オレは昔、深夜放送で観たよ。この作品をわざわざテレビの深夜放送でやる、というのは、予算の関係だろうとはいえ大変面白い試みだった。まぁ、結論を言うと、オレも途中で寝ちまったんだけどな。いやいや、怒るな。聞いてよ。だってさ、あんなの夜中に観れないよ。絶対寝る。まず寝る。まぁ要は、映像に魅入られておかしくなる男の話……と説明したら判るか。それでいいだろ。どうせカルトSFムービーなんだし」

 でも、『[映]アムリタ』の方では、その『ビデオドローム』みたいに、できあがった作品が放映・複製されることに主眼があるのではなく、作品を制作する過程の方にストーリーの主眼があるわけでしょう? 本質的には、両者は全く異なる気がしますけれども。……もっとも、作品を読み終えたら確かに、その評の言わんとするところは判るような気がしますけれどね。まぁ、複製にも色々あるってことですかね。


■“天才”最原最早。彼女の描いたシナリオとは?

「さて、それではいつもの通り、本格的に物語の展開を読み解いていこうか。例によって、以下は完全にネタバレトークね。未読の人は、ここで引き返しておくように。それじゃあまず、本書最大のポイント“最原最早の目的”から」

*1:湯船の血溜まりに浮かぶ死体を引き上げたら、傍らに立ってた女性キャラが嘔吐する、なんて演出とかまである気合いの入れようでした。

*2:野崎の「崎」は、本来「大」の部分が「立」の字が正しい。文字化けの可能性を考慮して、便宜上ここでは「野崎」と表記します。

*3:『[映]アムリタ』でMW文庫賞を受賞した野崎まど先生にインタビューを敢行!

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ゴミ箱から生まれるストーリー。第5回ライトノベル新人賞受賞作。岩波零「ゴミ箱から失礼いたします」

ゴミ箱から失礼いたします (MF文庫J)ゴミ箱から失礼いたします (MF文庫J)
岩波 零  異識

メディアファクトリー 2009-11-21
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ISBN:9784840130943

「最近は、学校の教室から出るゴミって、どうやって処分してるんだろう……。いま、焼却炉ってないんだよね?」

 昔を思い起こして、タカオさんが静かに呟きました。

ダイオキシンの発生だの、廃棄物処理*1だの、昔とは随分、様変わりしたもんだな。当時は、焼却炉って大抵、学校の敷地の隅にあったから、ゴミ捨て行くのも面倒だったモンだよ。放課後の貴重な時間……ジャンケンに弱かったオレは、どれだけその時間を無駄にゴミ捨てに費やされたモノか」

 ゴミとかって、今はもう、全部業者が持ってってるんじゃないですか。野焼きとかはしないし、実際やったら大問題。ただ、ゴミの分別がどうなってるのか、という点についてはよくわかりませんが……。やっぱり、教室にゴミ箱は1個だけなんですかね?

「さあなぁ。そんなわけで、今回の課題本は、ゴミ捨ての途中、ふとした思いつきでゴミ箱に入ったら抜けられなくなり“妖怪ゴミ箱男”になってしまった高校生男子と、そんな彼の前に現れた同級生の美少女やらの様子を描いたコメディ作品『ゴミ箱から失礼いたします』。オレが高校生だった頃は、ゴミ箱なんて、下半身が隠れるくらいの大きさなんか無かったけどな。まぁ、私立と公立とかでも差はあるから何とも言えんけど」

 そうですか。私のトコロでは、なんか蓋がないドラム缶みたいなのに、取っ手がついたようなヤツが多かったですけど。まぁ、そんな話はここではどうでも良いですけどね。

「あったなぁ、ドラム缶式のゴミ箱。中学の頃、おバカな男子が、水入りバケツ振り回すみたいにゴミ箱で遠心力を試そうとして、真上まで持ち上げたときに思い切りゴミ被ってたの思い出した。『(ゴミを)かぶってやがる! 重すぎたんだ!*2』とか思ったもんだ」

 そりゃ、重いでしょう。あんなの……。


■「ゴミ箱から失礼いたします」は、安部公房箱男」へのオマージュなのか?

「さて。それじゃあ、作品についての話を。まず、本書のタイトルを目にして、真っ先に思いついたのが安部公房の名前だった。すなわち『箱男』ね。“ゴミ箱男”って単語を思いついたんだったら、当然前提として、この作品は連想するだろう。ましてや、作者みたいに書店員の経験がある人だったら、なおさらな」

 それは……どうでしょうか。本に囲まれて生活しているからといって、必ずしもその人が本や小説に詳しいとは限りませんよ……。だいたい、本書はライトノベルじゃないですか。今となっては文学扱いされてる安部公房を下敷きにしているとは到底思えませんが。

「だめだめ。そこはハッタリで押し切らないと。それに、両方を読んでる読者なんてどうせそんなに居ないからさ、発想したもん勝ちだよ。ちなみに、“箱男”ってのは、頭からダンボール箱を被って生活する男のことで、この箱男が覗き穴を通して見た世界を記述したものが『箱男』っていう作品になっている、というメタ文学なわけ。内容的には、自己と他者の境界とか世界と私を切り分ける曖昧な皮膜といったアレコレを“箱”という素材を使って表現した作品、とでも説明しておこうか。覗いたり覗かれたり、という関係性とかね。滅法面白いんだけど、内容面では多重的な解釈を要求されるので、そういう“考える読書”が嫌いな人にはお勧めしかねる逸品。でも名作」

 ただ、『ゴミ箱から失礼いたします』の方は、そういう寓意とかを一切含んでいない単純な娯楽作品なんですけどね。好きでゴミ箱に入ってるワケじゃなくて、なぜか「出たいけど出られない」って状態を面白おかしく描いたドタバタコメディですから*3。その軽さが特徴であり、また若干物足りなさを感じさせる部分でもあるのですが、まぁ無い物ねだりしても仕方がないので、私は多くは語りません。

「『ゴミ箱…』が作中で、自分とゴミ箱の境界線がどうたらとか、そんな事を語り始めたら読者は絶対ドン引きするだろう。だからそういう風に読者の鼻につくようなテーマをとっても仕方がないよ。なので、哲学的テーマは採らない。哲学的意味はありません*4。大事なことなので二度言いました*5。ところがだ、ライトノベル読者にもウケが良さそうな両者の共通項ってのがたった一つだけあってだな……」

 それについて、今から考える、と。


■「ゴミ箱から失礼いたします」における、美脚への執拗なこだわり

「さて、一読すれば分かると思うが、この作品は全編において、作者の“脚”への愛が充ち満ちている。妹の脚力、ヒロインの美脚、ふとももに固執する変態男子。第一に、そもそも“ゴミ箱の中に入る”という所作自体が人体の部位たる脚への活動制限を意味しており――」

 うわ。いきなり本題に来た。いやいや、ないない。流石にそれはないでしょう。単に作者が“脚フェチ”なだけなのでは?

「加えて、主人公の妹(紅子)と生徒会長(沙紀)は、足の速い陸上部だ。そういえば、沙紀と美月の姉妹は、名字が赤星じゃないか。これはアレだな。阪神盗塁王・赤星から名前を採っているに違いないな……」

 もしもーし、だから、人の話を聞いてくださいな。会話が成立しなくなっちゃう。こじつけも流石に非道いと呆れられますよ?

「うん。そうか。じゃあ、赤星の線は、違う解釈でいこう。――“赤い彗星”でどうだ。これなら3倍速く動ける。脚フェチも満足」

 それ、むしろ“脚がない”MSを使う人ですよ……。偉い人にはそれがわからんのです*6

「とまぁ、冗談はともかく、本書において脚への描写が横溢しているのは事実だ。たとえば、この部分とか」

僕は驚き、声のした方向へ視線を向ける。
 するとそこには、物凄い美人が立っていた。長い銀髪で、少し目付きは鋭いが整った顔立ち。肌は透き通るように白く、特にすらっと長い脚が魅惑的だ(目線の高さの都合上、どうしても僕の視線は彼女の下半身に向かいがちである)。

(P.22-P.23)


「もちろん、安部公房の『箱男』においても、脚の描写は徹底的に出てくる。むしろ、女の描写があるときは必ずと言っていいほど登場する。これは、自己と他者との境界を近づけるモノとしての隠喩を“脚”の中に含ませているのかもしれないけれど、実際のところオレにもよくわからん。なので解釈についてはここでは省略するけどな」

 

いったいあの脚の、何がこれほどぼくをひきつけるのだろう。生殖器を暗示しているからだろうか。たしかに現代の衣服の構造からすれば、性器は胴よりも、脚に属していると考えるべきかもしれない。だが、それだけだったら、もっと性的な脚がいくらもある。箱暮しをしていると、もっぱら下半身で人間を観察するようになるので、脚には詳しいのだ。脚の女らしさは、なんと言っても、その曲面の単純ななだらかさにあるだろう。骨も、腱も、間接も、すっかり肉に融けてしまって、表面にはもうなんの影響も残さないのだ。歩く道具としてよりは、性器の蓋としての方が(中略)、たしかにずっとよく似合う。蓋はどうしても手を使って開けなければならない。だから女っぽい脚の魅力は(この魅力を否定する奴は偽善者だ)、視覚的であるよりも、むしろ触覚的にならざるを得ないのだ。

――安部公房箱男」より


 ダンボール箱を被って生活する“箱男”と、ゴミ箱に入って生活する“妖怪ゴミ箱男”。どちらも、「目線が下半身に集中する」という共通点は面白いと思いますけどね。……ただ、これも単なる偶然だと思うので、深入りはやめた方が良いですよ?

「やれやれ。相変わらず、佐久良タンはロマンがわからない人だよ。まったく」


■軽妙な会話主体で魅せる「ゴミ箱から失礼いたします

 ところで、本書の魅力は、ヒロインのキャラクター性とテンポの良い会話文だという評価が多いみたいです。また、実際に私もそのように感じました。タカオさんの意見はどうでしょうか?

「それ、銀髪美少女ヒロイン萌えの総受けラノベサイト管理人氏の意見だろ……。参考になるのかな*7

 へ、平和さんを悪く言うな! ……はっ!

「……とまぁ、こういう風に無意識に本音を語ってしまうキャラとかも登場するし、変な会話も一応展開されるわけだが、うーん、ヒロインと妹以外のキャラはちょっと弱い印象を受けたかな。赤星姉妹も含めて」

 本音じゃないよ! 口が滑っただけだよ!

「だから、それを本音というのだ」

 ……コホン。というわけで、このように私たちだけではテンポの良い会話ってのを実践するのは難しいわけですが、『ゴミ箱…』ではその点を上手く見せていたと思います。テンション高いツッコミって文章で書くと、下手したら、読者がすぐに引いてしまうので大変なんですよね……色々と。個人的には、話の最初辺りで展開してた、妹と主人公の会話が特に面白かったです。妹の守銭奴っぷりといいテンションの変わりようといい、なんだか、小説と言うよりむしろ落語的な面が強いかな、とは思いました。

「いや、だからオレ、落語のことはよく分からないんだってばさ……」


■むしろ、異識のイラストが魅せる、「ゴミ箱から失礼いたします

「オレとしては、むしろ褒めるべきなのは異識のイラストにあるんじゃないかと思ってる。これ、依頼した人は偉いよ。本来、小説でイラストを褒めるって事はオレはあんまりしないんだけど、全体的にポップな感じといい、主人公のとぼけた雰囲気といい、よく表現されてる。あと、イラストで一切エロ描写がないのも流石というか」

 おかげで、『あっちこっち』*8とキャラが被って見えちゃう面はありましたけどね。水無氷柱がつみきさんに見えたりする瞬間も、あったりなかったり。ヒロインは天の邪鬼だし、主人公は天然系だし、キャラ構成の部分でもよく似てるんですけどね。

「だから、そういう点も含めて、イラスト担当に選んだ人は見る目があるな、と。挿絵を見るたび、なんだか無性に和んだし。まぁ、むしろラノベ読者にしてみれば、『脚なんかいいんだよ、なんでパンツ描いてないんだよ、ぱんつぱんつ』とか、思ってるのかもしれんけどな」

 あなた、ライトノベル読者をなんだと思ってるんですか……。

「さしずめ、『パンツ“が”ないから恥ずかしくないもん!』*9ってところかな。あ、もちろん恥ずかしくないのは読者の方ね。電車の中で読んでも、挿絵が恥ずかしくない。これ重要! (キリッ」

 “(キリッ ”とか言ったら何でも許されると思ったら、大間違いですよ、まったく……。

*1:正式名称「廃棄物の処理及び清掃に関する法律

*2:元ネタは劇場版アニメ「風の谷のナウシカ」より。「腐ってやがる……早すぎたんだ」

*3:逆に、『箱男』では、ダンボール箱から外に出ることは容易であると示唆される。たとえば「むろん箱から出るだけなら、なんでもない。なんでもないから、ムリに出ようとしないだけのことである。ただ、できることなら、誰かに手を貸してほしいと思うのだ。」という文章等。

*4:元ネタは米澤穂信さよなら妖精」(創元推理文庫)より。マーヤの口癖「哲学的意味がありますか?」

*5:元ネタは、小林製薬のタフデントのCMより。みのもんたの「大事なことなので二度言いましたよ」

*6:元ネタはいずれも、TVアニメ「機動戦士ガンダム」より。オタク用語の基礎知識。ジオングに脚がないことをシャアに指摘されたジオン兵のセリフ「あんなの飾りです 偉い人にはそれがわからんのですよ」は有名。

*7:ちなみに、Twitterで本書の感想を質問したときの、平和さんの丁寧な返事がこちら

*8:「あっちこっち」(著:異識、芳文社 刊)

*9:元ネタはTVアニメ「「ストライクウィッチーズ」のキャッチフレーズ「パンツじゃないから恥ずかしくないもん!
 明らかにパンツなのだがそれを「パンツじゃない」と言い張ることで開き直る手法が大ウケ。

読まなきゃ祟る平成のお岩さん物語。6年ぶりの学園小説大賞受賞作「末代まで! LAP1 うらめしやガールズ」

末代まで!  LAP1 うらめしやガールズ (角川スニーカー文庫)末代まで! LAP1 うらめしやガールズ (角川スニーカー文庫)
猫砂一平


角川書店(角川グループパブリッシング) 2009-11-02
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ISBN:9784044748012


「……学園小説大賞って、まだ存在してたんだねぇ。知らなかったよ」

 関係者各位が耳にすれば大変失礼にあたると思われる発言をすると、タカオさんは机の上の文庫本を手にとって、ページをめくり始めました。

「大賞受賞作かぁ。うーん。せっかく挿絵も担当するなら、いっそのこと最初からマンガで描いたらよかったのにね。たとえば『学園小説大賞で初めてのマンガ作品受賞! 選考委員各氏大絶賛! “――さすがに、この発想はなかった”』とかどう? おもしろそう!」

 それ、もう「学園“小説”大賞」じゃないですよ……。そして、それ以前に持ち込み先、完全に間違えてる。

「んで、きっちりスニーカー文庫から出すの。全編300ページくらい一挙掲載で。んで、帯には『前代未聞、デビューと同時にコミック化決定! 編集者困惑! 作者も驚愕! “最初からマンガだったんですけど……”』 賭けても良い。これなら絶対話題になるはず。もちろん、書店員の間でも話題の中心にッ! ○○書店書店員(××歳)愕然!“……これ、コミックだったんスか?”」

 驚くトコロがずれてるよ! 内容でビックリしようよ!

「と、まぁ、そういう可能性もあったんじゃないかなぁとは思うけど。折角絵が描けるのに、勿体ない。特に、最近のオタク業界なんて、キャラさえ立ってりゃ、あとは話題になってナンボだよ。ラノベもおんなじ。どうせ文章自体は、ほとんどみんな吟味しないんだからさ……。あれ!? それじゃ別に小説で良いわけか。なんかよく判らなくなってきたな」


■作家が挿絵も担当する作品、「末代まで!

 ともかく、妄想トークは終了して、話を始めていきましょう。今回の課題本は6年ぶりの学園小説大賞≪大賞≫受賞作、猫砂一平末代まで! LAP1 うらめしやガールズ」です。著者が同時に挿絵も担当するって、なんだか久しぶりですね。思わず、折原みと とか思い出しちゃいました。

安彦良和も一時期、小説描いてた憶えがあるけどね。あとは……まぁ、少ないのは確かだけれど、別に例がないワケじゃない。そうそう、そういえば確か『ひだまりスケッチ*1でそんな話あったよな。沙英が、作家をしてるのにどうして美術科を選んだのかって話題になるところ」



「素晴らしき自作自演…!!」



吉野屋先生……。


 色々ひどいなぁ。ちなみに私は、「小説」である以上は、挿絵が誰であってもあまり気になりませんよ。ただ、「商品」として作品を捉えたとき、イラストというのはその商品のパッケージになるので、販売側が気を遣うという心理も当然分かるんですけど。これを作者の視点から見てみると、作者は随分気が楽なんじゃないですかね。自分が描いてしまえば、気に入らないイラスト付けられてストレス溜まることもないわけですし。

「カバー袖や栞の四コマ、口絵のマンガ、あと公式サイト*2での4コマ連載『週刊末代まで!』……と、作者も結構頑張ってると思うよ。できるだけのことはしよう……っていう姿勢は好感が持てる。それに実際、売り込めるわけだからね、自分自身で。それはある意味、強みだと思うけどな」


■「末代まで!」の主人公の名前は?
 そういえば、カバー袖の四コマの話が出たんで、ついでに触れておきたいんですけどね、あそこに落語の「山号寺号」のネタがあるじゃないですか? 本編を読む前に流れをぶった切っていきなり始まる、あの四コマ。実は本編の各章タイトルが全部「山号寺号」になっている*3……っていう前振りの意味があるんですけど、あれ、どういう趣旨なんでしょうね。なんでこんなとこ、こだわるんでしょう? どうせ落語ネタにするんだったら、本編で幾らでもやりようがあったと思うんですけど……。

「オレは落語って良くわからんけど、一応主人公の名前(戒名)が“三号”になってることからしても、“山号”に掛けてるところはあるかもしれんね。もちろん、関係ない可能性の方が高いけど。それより問題はむしろ、こいつの戒名の方だよ! “心霊研究院三号童子”……って、“院号”もらってるやん、こいつ! あかんあかん。こんなんもろたら、後々大変やで。戒名料もごっつとられるし、寺から寄進の要求も絶えんようになってまう。坊主丸儲けや。ダメ、絶対!」

 なんで急に関西弁なんですか、あなた。寺に何か恨みでもあるんですか……。それはともかく、そう言えば、主人公はずっと「三号」って呼ばれてるんで本名が明らかじゃないんですけど、これ、作者の猫砂一平さんはちゃんと考えてるんですかね? 最終的にはどこかで明らかにするのかなぁ……と疑問に思ってもいるのですが。

「あぁ……。今回は良いよ、別に。顧問の先生の名前が“芦屋”だから“蘆屋道満”から採ってるのは明らかだし、新聞部の土門リサも、どうせ“道満”をもじって付けたんじゃないの? そうなったら残るはひとつだけだろ。ドーマンセーマン。安倍晴明。はいはい、安倍氏安倍氏

 えー。もっとやる気出しましょうよ。そんなこといって、実は、土門は「土御門」から採ってるかもしれないじゃないですか。主人公も安倍じゃなくて賀茂だったらどうするんですか。ねぇねぇ……って、もう聞いてませんか、ああそうですか。
  

■「末代まで!」と「四谷怪談」における、“お岩さん”とは

 さて、それでは一応本編について触れておきましょう。高校入学したての三号は、本物の<幽霊部員>お岩さんと花子さんが見えてしまったために、心霊研究会へ半ば強制的に入部させられ、あろうことか末代まで祟られるハメになってしまった……。心霊研の活動内容はただひとつ。老婆走(ババアレース)に出場し、勝利を収めること。そのために、三号はお岩さんと気持ちを合わせ、特訓に挑むことになったわけだったが――。てなわけで本書のヒロインは、カバー絵を見ての通り、幽霊のお岩さんです。お岩さんを萌えキャラにしてしまおう、という作者の逆転の発想にはまずビックリ。原典の「四谷怪談」では、もちろんお岩さんは不美人、というか醜女なために亭主の伊右衛門に離縁を望まれるわけですから、これはちょっと唖然としましたね。

「というか、オレ、“お岩さん”とか言われても、正直幽霊の名前なんて知らないから、よく分かんないんだけど。四谷怪談って何? お皿割る話じゃないの?」

 それは『皿屋敷*4。その幽霊は、お菊さんです。

「じゃあ、灯籠持ってからんころんと、夜な夜な通ってくる話は?」

 『牡丹灯籠』ですね。それは、お露さん。

「死んだはずだよ?」

 ――お富さん。あんた、それが言いたかっただけでしょう!? ちなみに、お富さんは幽霊じゃありません*5。なお、お岩さんについてですが、有名な鶴屋南北の歌舞伎「東海道四谷怪談」ではなく、小説化された田中貢太郎の「四谷怪談*6の方を改めて読むと、お岩さんは本気で末代まで祟っているのが分かります。直接関係ない子孫まで見事に皆殺し。というか、こっちのお岩さん、死なないんですけどね……。

「『末代まで!』のお岩さんは、祟りが趣味だという割に肝心の祟り方を知らないっていう設定なんだけど、ほのぼのしてこの辺は好きかな。あんま、リアルに祟られても、どうしようもないしね」


■「末代まで!」は、「学園小説」or「レース小説」?

「で、作品についてなんだけど。やっぱ、あえて分類するとしたら、“ラブコメ小説”になるんでないの? 一応舞台は学園だけど、別段、学校生活を書こうとしてるワケじゃなさそうだし。“レース小説”としては……大分魅力に欠けるから、個人的にそこはあんまり期待してない。というか、折角競争の概念を持ち込んできたんだったら、乗り物ももっとフリーダムにすれば良かったのに。ババアに乗って登場人物が駆けめぐる……ってのは、絵的にもあんまり美しくないしね。だから、レース物としても、学園物としても、どっちも微妙にずれていると思う」

 じゃあ、今後は心霊研究会の中での、微妙な人間関係と恋愛感情を描いた作品になっていくのを希望する……ということでいいんでしょうか? でも、ラブコメ方向に行くにしても、ここから軌道修正するのは容易ではないと思われますけども……。そこで私の方は、今後は土門リサの積極的な登場に期待したいと思います。この娘、存在感ある割に言動が常に上滑りしすぎてて、ちょっと残念なキャラになってますし。ドリフネタとかはダメですよ。もう少し、ギャグセンスを磨かないと。これは作者の今後の課題って事で、ひとつ。

「んじゃあ最後に、オレの方からも作者への要望をひとつだけ。“老婆走”って設定は今からでも、改めた方がいいんじゃないかな。とりあえず、そう申し上げておきます。――“老婆心”ながら」

 おあとがよろしいようで。

 

*1:ひだまりスケッチ」(著:蒼樹うめ芳文社 刊)

*2:http://www.kadokawa.co.jp/matsudai/

*3:「一目散の固辞」「晩餐後の怪事」……等、タイトル全て「○○さん□□じ」という形式になっている。

*4:関東の『番町皿屋敷』、関西の『播州皿屋敷』が有名。

*5:「粋な黒塀 見越しの松に 仇な姿の 洗い髪 死んだ筈だよ お富さん 生きていたとは お釈迦さまでも 知らぬ仏の お富さん」
 昭和29年、春日八郎の大ヒット曲「お富さん」より。この曲の元ネタは、歌舞伎の「與話情浮名横櫛」です。

*6:四谷怪談」(著:田中貢太郎)は青空文庫で読めます。ほんの数分で読める作品なので、一読をお薦めします。

繊細な描線と忘れられない物語。驚異的才能の成果が満を持しての単行本化。四季大賞受賞作「虫と歌 市川春子作品集」

虫と歌 市川春子作品集 (アフタヌーンKC)虫と歌 市川春子作品集 (アフタヌーンKC)
市川春子


講談社 2009-11-20
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ISBN:9784063106176


「結局、マンガというのは、どこまでいっても“絵”なんだなぁ、とつくづく思うよなぁ」

 読み終えた単行本を本棚に収めると、タカオさんがため息混じりに呟きました。

「たとえ印象的な場面やら、心に残るセリフがあったとしても、そこだけを抜き取ったって完全には伝わらない。マンガの中でのセリフだ何だというのは、結局はコマの中での一要素に過ぎない。いや、ページの中の一部分、あるいは原稿用紙数十枚の中の……」

 それで、つまり何が言いたいんでしょうか?

「この作品の圧倒的な魅力を伝えるには、一部を引用して紹介するだけでは、到底伝わりきらないのではないか、ということなんだけど」


音もなく 駆け上がる 足も
草を摘む 手も 全部 僕の指だった

僕のもの だったんだ

――「星の恋人」より


 てなわけで、今回の課題本は市川春子『虫と歌』です。四季大賞受賞作の同名短編のほか、現在(11/20)発売中の雑誌「アフタヌーン」に掲載されている「日下兄弟」までの3編と、描き下ろし2ページ作品「ひみつ」を加えた全5編収録の短編集。「アフタヌーン」では11/25発売号でも新作短編「パンドラにて」が掲載されるようなので、どうせならそこまで収録してくれれば、良かったんですけど……。まぁ、ページ数的に無理だというのは分かるんですけどね。

「この1冊は、間違いなく今年の単行本の中でもBest級に位置する本だと思う。それくらい読後のインパクトがある。特に描写面。市川春子の作品は、どれも構図やらコマ割やらページ構成やら、全てが高いレベルで洗練されていて、思わずみとれてしまうんだよ。デビュー時は高野文子的だと評する向きもあったみたいだけど、こうして作品を続けて読んでいくと、決して模倣で終わっているわけではないのがよく判る。換骨奪胎というか、それとはまた別の“市川ワールド”とも呼ぶべき世界観を自分なりの技法で見事に構築してあるように思う。とりわけ、ページ単位での見せ方が独特。これは物語のリズムにも影響を及ぼしてる所なんだけど、ここぞという場面で大ゴマを用いてみたり場面転換してみたりするのが、中でも印象的だった」

 具体的には、P.11の「今日も元気に 洗濯をしてる」とかですね。日常が突然、非日常へ変化する瞬間。セリフの途中で ため があって、それからページが変わって、いきなり真実が明らかになる。物語としては、この時点でかなりの衝撃を受けるわけですけど、それを効果的に魅せる手法があらかじめ作者に備わってると言いますか。「パァン」という効果音も素敵で、わたしがこの作者と作品の、ファンになった瞬間でした。


日常が非日常へと移行する瞬間


「……ほらね、このコマ引用しただけでは、作品の魅力が伝わらんだろ。これが残念でならない。だからどうしても、『単行本を買って読め』としかいえない。それがもう、たまらなく歯痒い」


■「虫と歌」収録作について

 一応、ストーリーの説明をしておきましょう。まず1本目「星の恋人」。突然、伯父の家にて暮らすことになった さつき。しかし、訪問した伯父の家には、見知らぬ少女の姿があった。つつじという名のその少女が誰か、伯父はさつきに語ったのだが……。と、敢えてここまでしか申しません。上のコマに至るまで、わずか数ページ。普通なら、この発想自体がオチに使われてても不思議じゃないのですが、この物語は逆にここから話が始まります。奇想にあふれた異色短編SFな逸品。

「『お久しぶりね』な初対面と、『はじめまして』な再会。この辺のズレから来る気持ち悪さも、作者の手法なのか。ラストのコマの余韻も見事。自分と、伯父と、少女と。3人で家族だったはずの時間は、つのる少年の思いと共に徐々に狂い始める。自我の芽生えから恋の萌芽、そして狂気な結末へ。まさに傑作」

 次に2本目、「ヴァイオライト」。飛行機事故に巻き込まれた中学生・未来は、墜落現場ですみれと出会う。互いに助け合い、山を下りる2人だったが、別れの時はあまりに唐突に訪れた……。ストーリーラインよりも、むしろ演出が光る作品です。雰囲気だけで感じろ、という作品。3本目、「日下兄妹」。甲子園への半ばにして、肩の故障にあった雪輝。野球部や寮から離れ、自宅で怠惰な生活をしていたところ、謎の生き物が同居をし始めた。ヒナと名付け、妹のように可愛がっていた雪輝だったが、そのさなか、大切なことを思い出し始める――。私はこの、「日下兄妹」が一番好きでした。


「うで 大丈夫?」
「おまえの手くらい ひける」

――「日下兄妹」より


「この話は凄いよ。ヒナは人間じゃないから、顔がないんだよね。つまりのっぺらぼう。でも、不思議なことに“表情”があるように見えてくる。読者が読めないはずの感情が、読めるようになる。これが作者の力量なのか。P.139の伏線とか、初読時にはまったく気付かなかった。そして、P.140&P141の美しさ。この時点でもう、泣ける」

 一見、雪輝とヒナは会話が成立してないように見えるんですけど、肝心な所で気持ちが通じてるというのが分かるので、それが素敵。クライマックスのシーンはその最たるもので、お互い、望んだとおりの回答はしてないんですけど、結局気持ちの部分で通じ合ってたという。ディスコミュニケーションナ話ではなくて、むしろ逆で、ことばではなく心で通じ合うことの大切さ、を見せられたような気がしました。というか、ヒナちゃんカワイー。妹にぜひ欲しいです。

「最後に4本目、四季賞大賞受賞作『虫と歌』。これはまぁ、予備知識なしで読んでもらえれば良いんじゃないかな。画力的には一番未熟な頃の作品だけど、得体の知れない迫力というか、凄みがある。まぁ、とにかくお薦め」



「日下兄妹」より。ヒナには常に顔がない。


市川春子作品に共通の、「自我の確立」と「自然への畏敬」

 とにかく、今回収録の市川春子作品の共通点といえば、話の中では主人公の「自我の目覚め」が必ずつきまとう、という点でしょうか。「ヴァイオライト」の未来は墜落のショックで記憶をなくし、当初名前以外を思い出せないし、「星の恋人」のさつきは、そのまんま自己とつつじの存在について思い悩む。「日下兄妹」の雪輝は、かつての自分が望んだこと・思ったことを再度思いだし、それをヒナに打ち明けた。表題作「虫と歌」にあっては言うに及ばず。“若さ”というのは“未熟”ということでもあるけれど、同時に“可塑性”を有していることも意味するわけで、つまりはいつだって変化可能なんですよね。「日下兄妹」を読んで特に思ったのは、結末の余韻もさることながら、彼らが新たに見据える未来への可能性にも胸を打つものがあった、ということなのですけれど。もちろん、それは本筋とは若干ずれてしまいますけど。

「そして、もう一つが自然への畏敬崇拝なのかもしれんね。虫・植物・星……。webで公開されてる未収録作品も読んだけど、主人公が鉱物だったり海洋生物だったり、作者は、どうやらそういうのが好きな人みたい。デビュー短編『虫と歌』は、それに真っ向から挑戦した作品であると言えそう。とりあえずオレは、まもなく発表になる新作短編も読んで、今後に備えたいと思う」

 そう言うと、タカオさんはしばらく読書する気が失せたのか、本の山をしばらく見つめたまま、物思いにふけり始めました。もっとも、この1冊を読んだ直後では、普通の作品をいくら読んでも面白さを感じられなくなるかもしれませんので、しばらくは大人しく余韻に浸ってれば良いんじゃないですかね。なにはともあれ、久しぶりに素晴らしい異色SF(すこしふしぎ)作品を読んだような気になりました。今回の作品は、マンガマニアは勿論、一般まで広く読まれて良い作品ではないかと思います。断然おすすめ。

壁井ユカコの新シリーズは、女子化・女子寮・時間SF!? 「クロノ×セクス×コンプレックス」第1巻

クロノ×セクス×コンプレックス 1 (電撃文庫 か 10-17)クロノ×セクス×コンプレックス 1 (電撃文庫 か 10-17)
壁井ユカコ


アスキー・メディアワークス 2009-11-10
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ISBN:9784048681452


「出会い頭に女子高生とぶつかって何かが始まる物語もあれば、まったく何も始まらない残念なことだって、ときにはあるんだよ!」

 えっと。タカオさんいきなり何を言ってるんでしょう。もしかして、それ、この人のことですか?*1 一応、人身事故ですよ。他人の不幸をネタにするのは、いけないと思います! というか、女子高生と衝突しても何も始まらないのが世間では普通ですよね……。

「というわけで、今回の課題本は、主人公の高校生男子が女子高生とぶつかって“女子化”“魔法学校入学”“タイムリープ”を経験するという色々な要素が詰まった てんこ盛り作品『クロノ×セクス×コンプレックス』に決まり。今回は珍しく、電撃文庫の新シリーズを発売直後に読んだわけだが、さすが壁井ユカコ。なかなかどうして作品の要所要所を巧く処理してあって、非常に面白かったよな」

 作中とか作者あとがきでは、ハインラインの『夏への扉』や筒井康隆の『時をかける少女』に関する言及もあったりして、時間SFであることの明言もあるわけですけれど、電撃編集部的には帯の強調を見る限り*2、性転移、魔法学園ファンタジーが先に来て、最後に「タイムリープ」なんですね。作品タイトルは「クロノ×セクス……」だから、時間SF要素が先なんですけど。

「バカだなぁ。『SF』って書いたら、中高生に売れなくなるじゃん。要は、イメージ戦略だよ」


■SFとしての「クロノ×セクス×コンプレックス

 ところで、タカオさんに意見を訊きたかったんですけど。今回の話って、タイムリープと性転移がメインの話なわけでしょ? それじゃあ普通、その手の作品で例に挙げるとしたら、同じハインラインでも通常『夏への扉』じゃなくって『輪廻の蛇』になるんじゃないんですか? なんか、その点がちょっと気になると言いますか、釈然としない部分ではあるんですけれど。

「そこはやっぱり、『夏への扉』の方がメジャーだし扱いやすい、っていうのはあったんじゃないか。それに、『輪廻の蛇』はタイムパラドックスものだから、テーマ的にも差し障りがあったのかもしれない。別に良いじゃん、『夏への扉』で。オレはもちろん“ピートの肩を持つ”*3よ。ちなみに、オレはむしろ、『時をかける少女』の方が気になった。過去に遡航するタイムトラベルものは多いのに、なんで敢えてそれを選ぶのよ? 何か理由があるんじゃないのか?」

 男女間での肉体転移の話が来て、その次に『時をかける少女』が来る……。あぁ、なるほど。大林宣彦ですね! 『転校生』『時をかける少女』そして、最後には『さびしんぼう』……となるかどうかはともかく。「尾道三部作」ですか! ただ、作品の舞台が、尾道と魔法学校とでは、若干懸け離れすぎてる気がしますけども。というか、これって、いかにもこじつけっぽいですけど。――ま、毎度のことなので別に良いですか。

「あとは、図書館塔に拘束されてる司書の存在が、良い味出してて気になるよなぁ。全てを見抜いていながら、束縛されてて動かない。なんだか、藤子・F・不二雄のSF短編『ノスタル爺』に出てくる爺さんみたいじゃない? あの話、好きなんだよオレ」

 まぁ、それはともかく。私が思うに、時間SF作品というのは、「いかに風呂敷を広げるか」よりも「いかに風呂敷を畳めるか」が評価のポイントなのではないかと思うのです。複雑怪奇に時的関係や人間関係を描いて読者を翻弄する作品も良いですけど、それらが綺麗に収束する種明かしの部分にこそ、その魅力があるのではないかと。そういう意味では、SFでありながらミステリ的*4。ですので、基本、時間SFって長編よりも短編向きな側面が特に強いと思うんです。なのに、本作は敢えてシリーズものでこれをやっていこうという。その点が怖くもあり、また楽しみな面でもあるワケなんですけど。


■性別転移作品としての「クロノ×セクス×コンプレックス

「ところで、本書を紹介するに当たって、一部では、TS(トランスセクシャル, trans sexual)モノだという説明をする人もいるけれど、何となくその説明には違和感を覚えるね。もしかして、オレの知らない所で既にこの手のジャンル呼称がそういう呼び名で定着しているのかもしれないけれど、少なくとも、オレたちの間に於いてだけは使い方に気をつけていきたいと思う。確か以前にも話し合ったことがあったと思うけど*5、女装少年と性同一性障害の男性とは明確に区別すべきだと思うし、それと同様に、今回みたくSF設定で肉体(精神)転移があった状態とも区別がなされるべきではないかと思うわけ」

 つまり、本書みたいな設定の作品の場合、主人公は自分の肉体を元に戻すことに主眼があるのであって、自分の内部で発生している性の不一致自体には関心はない、とそういうことですか。自身の肉体は別に存在している以上、現時点の自分の身体が異性であっても、そのことで自分自身が思い悩むことはない、と。

「ただ、TSモノだという説明も、広い意味ではあながち間違っていない、と思う。それに、そう説明した方が簡単で早いし、だいいち楽だ。ただ、オレたちは使わない方向で行こうな、というだけの話。で、標題のテーマになるけれど、本作に於いて性別転移って設定は、本当に必要だったのかね。さっき、ハインラインの『輪廻の蛇』の話をしたけど、あれは物語の内容上、性転換が発生することは必要不可欠だったわけだろ。けれども、本書では、それが読者の興味関心は引くものの、物語上必然性があることだとはあまり思えない」

 壁井ユカコさんの描写が巧みなので、一瞬だまされてしまいそうですけどね。まぁ、男性読者が多い電撃文庫としては、男子寮の話を展開されるより女子寮の話を書いてくれた方が、リーダビリティは発揮されるんでしょうけれど。

「オレはね、この作品における"主人公の女子化"は、作家・壁井ユカコが見出した技の中でもウルトラCに入るのではないか、と実は思ってる。どういう事か説明しよう。本書のみならず、ライトノベルに於いては現在、悲しいかな男性読者に対するサービスシーン(昔は、お色気シーンと呼んでたけど)は、読者を喜ばせるという意味に於いて欠くべからざる要素の一つになってしまっている。脱衣所行ったら女の子が着替えてましたとか、トイレのドアあけたら先に女の子が居ましたとか、そういうヤツ、つまり微エロ描写な。これ、本書でも出てくるんだけど、それがね、すごい自然なわけよ。ムリがない。そりゃそうだろう、だって女子寮なんだもん。目が覚めてたらルームメイトが着替え中で半裸でした、とか、そんなの余裕。当たり前。そりゃまあ、あざといトコロとかはあるけどね、それでも随分マシだわ」

 もっと言えば、壁井さん自身も女性だっていうトコロが、作用してるのかもしれませんけど。そういう強引なサービスシーン書くのに、抵抗や照れとかがあるんじゃないですか? そもそも、主人公が15歳男子だというのに三人称文体を用いている面にも、気になる部分はあったので。いや、もちろんこれは褒めてるんですよ。逆に言えば、15歳男子である所の三村くんが、同い年の女子ミムラになってしまって女子寮内で悶々とする。そのシーンの数々、ここの部分こそが読みどころだとする人も多いみたいですし。また実際、おもしろいんですよね、そういう部分の描写が。

 つい凝視してしまってからいかんいかんと視線を逸らした。サービスシーンにあずかったのは光栄だが朝っぱらから理性のたがをはずすわけにもいかない。ニコの下半身を視界に入れないようにしつつ、自分の身体もなるべく見ないようにしつつ着替えを済ませた。手が届くところに美味しいものが並べられているのに食べられないというか、今となっては自分自身が食べられる側という本当にもうなんの苦行だこれは。

P.80-81


「句読点なしで『本当にもうなんの苦行だこれは』とか、上手すぎる。さて、そんなわけで、1巻読んだ限りでは、今ひとつサービス(百合展開含む)としての意味以外に女子化の意味が分からなかったんだけど、この部分については今後の展開で充分変動できる面でもあるので、期待して待つことにしようか」
 

■「クロノ×セクス×コンプレックス」 今後の展開は?

 先ほども言いましたけど、時間SFテーマでありながらシリーズ化を展開するというその挑戦心というか心意気が、何より素晴らしいと思います。これで破綻なく最後まで走り切れれば良いんですけど、そうでなかった場合も考慮して、現時点としては期待と不安が半分ずつというところでしょうか。数多くの伏線も残されたままですし、是非綺麗に完結させて欲しいです。少なくとも、長編作品の序章としては、今のところ高得点な作品なんじゃないでしょうか。

「間違いなく重要キャラなのに、殆ど出番がなかった幼なじみの小町梅とか、かなり気になるしな。だって、この作品、冒頭は彼女の描写からスタートしてるんだぞ。意表を突かれるどころじゃなかった。それなのに、殆ど登場しないとか、ほんとナイわ〜。それはないわ」

 キャラクタ的にも、主人公のミムラは勿論、ライバルのオリンピアなんかも人物描写がしっかりなされててかなり好感が持てます。ストーリーも現時点では先読みが全然できないですし、もう今から次巻が楽しみで仕方がないです。

「最初はてっきり、桜庭一樹青年のための読書クラブ』所収の一篇「烏丸紅子恋愛事件」みたいな方向だけで押し切るのかと思っていただけに、かなり予想を裏切られて、面白かったしな。今回は極力ネタバレを避けたため時間SF的な面については、ここでは触れなかったけど、いきなりそこに突入したときとか結構ビックリしたし、グイグイ読まされて最後までページをめくる手が止まらなかったし。何となくだけれど、良作になりそうな予感がしてる。最後まで是非頑張って欲しい」

 普段だと、途中巻ではなかなか作品紹介をためらってしまうんですけど、今回ばかりは現時点で結構満足行く出来でしたので、迷わず採り上げることに致しました。とりあえず、当サイトでは全力で応援したいと思います。それでは、タカオさんから締めのひと言を。

「……ミムラ・S・オールドマンの“オールドマン”って、『大きな古時計』の"お祖父さん"から、採ってるのかなぁ」

 知らないってば、そんなこと。

*1:「フラグ?」って反応するな!(私的ファイル deltazulu 記録再開 2009年11月6日の日記)
と言われても、やはり反応してしまうのが人のサガですね。

*2:帯の煽り(初版時)では「女子化! 魔法学校! タイムリープ!」「壁井ユカコ、待望の新シリーズ!」「ミムラの高校生活はドキドキワクワクでいっぱいです。」となっている。

*3:元ネタは勿論、ロバート・A・ハインライン夏への扉』の一節。「そしてもちろん、僕はピートの肩をもつ。」

*4:そういえば、『ミステリクロノ』(著:久住四季)という電撃文庫作品もありましたね……

*5:第12回[序奏と助走]女装する男子は好きですか? 一迅社文庫の創刊に花を添える、とびっきりの美少女(?)学園コメディ「ふたかた」 参照

あの頃僕らはアホでした。バカな主人公がバカな仲間たちと送る、グロくて切ないグローリーデイズ。「少年テングサのしょっぱい呪文」


「高校生男子が放課後集まってする会話なんて、いつの時代も無意味でバカバカしいものと、相場は決まってるんだよ!」

 突然、テーブルを叩いて声高に叫び出すと、昔を懐かしむみたいに目を細めたまま、タカオさんがその場に立ち上がりました。

「気の置けない仲間が群れ集まって日々繰り返す会話の中に、生産性などあるわけがない。ましてや、それを客観的に他人の目から見たとして、そんな会話がエンターテインメントとして堪えうるレベルに至ると思うか? そんなこと絶対ねーよ。ありえんよ。『聞いて聞いて、オレ、昨日こんなこと思いついてサー……』『おまえ、バカだろ』 ――これが、正しい若者の会話なんだよ。リアル・フィクションなんだよ!」

 テンション、高いなぁ。とりあえず座って下さいよ。というか、生産性の乏しい会話を繰り返すのって、別に男子中高生に限らないですよね。女子だって同じなわけですし。そもそも普段私たちが会話をするのだって、別段相手を笑わせようと意識し続けてるわけでもなければ、感心させようと狙ってるわけでもありませんよ。大体、今の私とタカオさんの会話だってそうじゃないですか。例えばここで誰かに質問されたとして、それに対して、「中庭の芝生の刈り方が気に入らなかったんだ」*1とか答えたり、「いつもシェービングクリームの缶を握りしめて泣くんだ」*2とか気取った言葉を言い放ったりする人なんて、いまだかつて見たことも聞いたこともありません。

「それは、中高生の台詞じゃないけどな……。というわけで、今回の課題本は、男子の不毛なバカ話を中心に展開する牧野修電撃文庫初作品『少年テングサのしょっぱい呪文』というわけ。これぞリアルだ。リアル・フィクションだ!」

 その単語、あんまり連呼すると各方面から怒られそうな気もするので、自粛しましょうね。で一応、本作の流れはこんな感じ。喫茶店不眠症』で集まりバカ話に興じる、テングサ・あっちゃん・サトルの3人組。彼らのお目当ては、店で働くバイトの夏恵、通称・ナツメグだった。邪神ジゴ・マゴをその身に憑依させたテングサのもとには、人はもちろん仮想人格に至るまで千客万来。そんな中、「人を殺してほしい」と依頼する一人の女性が現れて……というお話。でも、こんな説明だけじゃこの作品の性質って、どうにもよく判りませんね。


■邪神法人の設定は、どこまで現実に準拠しているのか

「しかし『邪神法人』って設定は、よく思いついたなぁ。いや、邪神が人間に憑依する、ってこと自体は誰でも思いつくんだけどさ。その邪神が現実に実在するのであれば、宗教法人と同様に法人格を認める必要性がある、ってところまでは、バカバカしすぎて普通書かないだろ。つまりは、法人の設立登記だな。この時点で既に、ライトノベルとして充分異彩を放ってる。それに、この設定が上手くできてるのは、これをもって国家側も邪神の存在を把握できるシステムになるってところ。邪神を憑依させれば必ず登記をしなくちゃいけないわけで、それゆえに邪神法人への依頼は全て役所への届けを介してなされる必要がある。そして、これが非常に煩雑な手続きになっている……ということね」

「さあ、ここにハンコを押しなさい」
 びしっ、とネチカは書類を指さした。
 私は鞄から法人実印を取り出す。
 そして書類を見た。何か所かのチェック項目を指でなぞる。
「で、設立登記完了届出書とかはどこかな」
「何それ」
「何それって……もしかして、果たし合い許可申請したことがない?」
 ネチカは不安そうに頷いた。
「だよね。最近じゃあ滅多にないからなあ、果たし合い。あのねえ、登記事項証明書の写しとか登記簿謄本とか必要なんだよね。それから果たし合い許可申請書に代表者の実印が抜けてるよ。もちろん印鑑証明もつけてね。それから、あんたが代表者じゃないよね」
「当たり前よ。仮想人格が法人の代表者になれるわけがないじゃない」
「そうだよね。でもそれなら委任状も必要だよ。それからあんたの自己証明書類も、仮想人格の場合、いろいろとややこしいみたいだけどね」

――P.31

「あのね。肝心の申請書に法人実印がないんだけど」
「えっ、なになに、どこ」
「ほら、こことここね。印鑑証明とかもらってきてる?」
「だ、代表者の実印は押してあるだろう」
「ああ、それとこれとは別なんだよね」

――P.93


 でも、この設定なんですけど、本当に必要なんでしょうか? いや、確かにクライマックスの展開はこれに従って進んでいくので、物語上から言えば、もの凄く重大なことになるワケなんですけど、こんな細かい部分に至るまで設定が必要なのかなぁ、って。

「そう。そこで、この設定がどれだけ現実に即したものになっているか確認するため、ワタクシ、友人の司法書士に電話で尋ねてみました」

 …………はぁッ!?

「参考までに説明すると、こんな感じ」


(タカオさんと、その友人との会話)


「もしもし? あのさぁ、ちょっといいかな。法人の届出関係について、訊きたいことがあるんだけど」
「なになに? ついにお前も勉強する気になったか。え? 違うの。じゃあ、起業か? なんだ、それも違うのか。まぁ、聞くから話せよ」
「じゃあ、遠慮なく。一般的に、法人でさ、重要事項を役所に届出申請するとき……いや、これじゃ良くわかんないか。例えば、所有権移転に伴う不動産の移転登記手続とかするとき……いやいや、商業登記かな。そのときにさ、必要な書類とか書式とかって、何があるか教えてよ」
「なにそれ。ホントよくわかんねーなぁ。まぁ、とりあえず、その法人が実在するかどうかの証明が必要だから、設立登記完了届出書だな。登記事項証明書の写しが要る。えッ? 登記簿謄本? それは昔の場合。まぁ、それでも良いけど。それから、申請書出すなら法人実印と印鑑証明。代表者の実印? それはちょっと判らんな……。だから何の申請書なんだよ、一体。代理で申請するんだったら、まぁ委任状も要るんじゃないの。その場合は、自己証明書類は必要だよ。勿論」
「なるほど。わかった。それじゃ、ついでにもう一点。例えば、100%子会社とかの場合、法人自身が会社の役員とか法人の代表とかにはなれたりしないの?」
「それは無理。確か、条文に規定があったはず*3。今、お前が言ったとおり、会社は他の会社の株主にはなれるけど、取締役にはなれない。それは、自然人に限られる……って、なぁお前、一体なに調べて……」
「ありがと。助かったわ」
プチッ(通話OFF)

 タカオさん、あんた絶対、友達の使い方間違えてますよ……。

「いや、間違ってないって。だって、登記だったら司法書士に訊くべきだろ。弁護士じゃなくて。それに、弁護士やってるヤツに訊いたら、相談料とられるかも知れないじゃん。ダメダメ、絶対」

 弁護士の相談料って、こういう変な質問してくる人を相手してたら仕事が回らなくなるので、仕方なく有料にしてるんだ……って、この前、本人らが言ってましたけどね。というか、最近じゃ法律事務所だけじゃなく、法務事務所でも相談料は有料になってきてるみたいなんですけど……。まぁ、そんな話はどうでも良いんですよ。作品の話に話題を戻しましょう。つまりは、この邪神法人の設定は、現実の商業登記に準じてるってことでいいんでしょうか。

「まぁ、その点については、どうもそうらしい。とことん、リアル・フィクションだな。それじゃあ次の話題。この小説の元ネタ探しについてだけど」


■本作の元ネタについて

 いや、ところがですね、残念なことに、今作に関してはあれこれ色々と探ってみたんですが、すみません、結局元ネタは判りませんでした。牧野修が変なキャラ名を設定してるトコロからして、絶対何かの元ネタがあるはずだと思ったのですけど*4、どうにもそこまでは辿り着けずです。一応、私が気づけた範囲で言うと、テングサたちが通学する「私立第三ボロヴィニア学園高校」というのは、『アシャワンの乙女たち』の舞台となるゾロアスター系の学校「私立第四ボロヴィニア学園中等部」の系列です。でも、本編とは全然関係ありません。それから、テングサたちの溜まり場となっている「不眠症」という名の喫茶店。この名前の元ネタは、おそらく、さだまさしの曲『パンプキン・パイとシナモン・ティー』の中で登場するコーヒー・ベーカリー「安眠(あみん)」がそうなんじゃないかと推理したのですが……。

「はっきりとは明示されてないだけに、後者は何とも言えんね。ちなみに、前者については、

 ボロヴィニア学園には初等部から高等部まであるのだが、ここにあるのは初等部と中等部、それに中等部生徒のための寄宿舎だ。高等部はその寄宿舎とともにかなり離れたところにあり、それはここほど特殊な建造物ではない。

――「アシャワンの乙女たち」P.20


という記述自体が既にあったのを確認した。さすが牧野修、先手を打ってる。本作とは全く矛盾していない。その点などは、大したものだと思うな。問題は後者の方。そもそもナツメグは、本当にシナモン・ティーへのオマージュなのか? ネタにするんだったら、通常マドンナはシナモンの方じゃなくて、ミス・パンプキンの方だろう? その点がどうも腑に落ちないというか、ネタだと断定できない部分でもあるんだが……」

 しかもですね、困ったことに、“シナモン”というキャラクターもまた、個別に登場するんですよ。本名・丸山姿子(まるやま しなこ)って言うメイドさんなんですけど、雑誌掲載の短編「少年テングサのおいしい御祓い」の方にちゃんと出てくるんです。これで尚更、判らなくなってきましてね。でも、悪ガキが授業サボって喫茶店に集まる所とか、その店にマドンナが居る所とか、雰囲気は同じなので、たぶん元ネタの一部なのは間違いないと思うんですけどね。

「さて、それじゃあ、前置きはともかくとして、いよいよネタバレ全開でこの感動的な作品の本質へと迫っていこうか。そんなわけだから、あらかじめ言っておくけれども、未読の人はここから先は進入禁止な。覚悟と理解のある人だけ、先を読んでくれると良い。逆に、ネタが割れてしまうとこの作品を読み終えたときの感動は完全に削がれてしまうので、まだ読んでないなら今すぐ本屋に走っていくか、ネット通販で注文するように。わかった? それじゃあ、続きに入ろうか」


少年テングサのしょっぱい呪文 (電撃文庫)少年テングサのしょっぱい呪文 (電撃文庫)
牧野修


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*1:村上春樹1973年のピンボール」より、鼠の台詞。

*2:村上春樹風の歌を聴け」より、主人公の私の台詞

*3:会社法 第331条 の法定欠格事由に該当。調べました。

*4:牧野修ソノラマ文庫での既刊を見ても、「乙女軍曹ピュセル・アン・フラジャーイル」は「新造人間キャシャーン」、「アシャワンの乙女たち」は「バロム1」が、それぞれの作品の元ネタとなっている。

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