繰り返される死と再生。そして、音楽。ライトノベル新人賞優秀賞作品「ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート」


「そういえばさ、“紅茶に浸したマドレーヌ”の味から生まれる物語、って何だっけ?」
 どうでもいい疑問を前触れなく口にすると、思案げな顔をしてタカオさんはこちらを振り返りました。
「どうでもいい、ってことはないだろ……。いやまぁともかく、ふとしたきっかけで何かを思い出すことってのは日常よくあるわけだよ。記憶の底に追いやったつもりで居ても、その記憶が何か別のものと結びついてたりすると、その特定の刺激を受けた際、不意に甦ってきたりすることがさ」
 いや、そんなこと言って、タカオさん。あなた、全然思い出せてないじゃないですか。プルースト、でしょ、それ。『失われた時を求めて』ですよ。
「ああ、そうだっけ。その本、読んでないから分かんなかった」
 それ、もう“思い出す”とかいう以前の問題ですね……。忘れてすら、いないじゃない。
「忘却、っていうのも、ホントのところメカニズムがよく判らない事象の一つではあるよなぁ。少なくとも、俺の人生における苦悩の何分の一かは、こいつが占めているような気がする。これはちょっと、真面目な話になるけどさ」
 メカニズム、という単語で説明するのなら、そこは“忘却”ではなく“記憶”とするべきなのでは? 憶えるから忘れるわけで、それらは一連の流れなわけでしょう。片方だけ採り上げるのもどうかと思いますけど。
「いや、別に良いんだよ。今回は忘却を繰り返す物語を採り上げるわけだから。てなわけで、今回の生贄本は珍しく、MF文庫Jの新人賞作品『ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート』に決めたから! もう、ビターなんだかスウィートなんだか、どっちかにしろって感じが気になって気になってさぁ。つい読んじゃったわけだけど、いやぁ、新人にしては珍しくセンスある作風で、わたしゃビックラこいたよ。うん、これはもう“もっと評価されるべき”*1とかってタグが付いてもおかしくない作品だと思うぞ」
 あなたが変なテンションで紹介してると、むしろ周りから“うp主は病気”*2とかタグつけて言われないか、そちらの方が心配で仕方ありませんよ。それにえーと、私の記憶が確かなら、今日はジョー・ヒルの『20世紀の幽霊たち』について語り合うってな予定だったと思ったんですけど……。なんで急にそんな話になってんです?
「だってさ、この本まだ、“まいじゃー推進委員会”でも“好きなら、言っちゃえ!! 告白しちゃえ!!”でも“平和の温故知新@はてな”でも紹介されてなかったからさ。プッシュするなら今のうち! というかぶっちゃけ、『今ならでっかい事できる気がする!!』と思ったわけ。わかるだろ?」
 そんな、“1巻しか出てないのにアニメ化が決まってしまったギャグマンガの表紙”*3みたいなこと言われても……。それに、あの人たちは忙しいから採り上げてないだけで、ラノベ界隈では既にじわじわ評価が高まってるんじゃないですかね。deltazuluさんなんかも、大分前に褒めてましたし。これだから、ものを知らずに盛り上がってる人ってのは本当にタチが悪い……。
「ほっとけ。まぁ、それはさておいても、割と読ませる作品であったのは事実だし、紹介するなら今のうちにしておかないとな。大体、個人的な意見としては、今のところ口コミ以外でこの作品が売れる要素って、あまり見あたらないしさぁ。片仮名だらけで覚えにくいタイトル、ギターを抱えた少女のカバー絵、そして『せつなさはロック』という音楽要素を前面に押し出したキャッチコピー。流石に、これでバカ売れしたとしたらスゲーと思うぞ」
 ライトノベルの読者層と軽音って、相性悪そうですしね。純粋な音楽小説だって誤解を生むと、その時点でもう、手に取ってさえもらえない可能性があると思います。販売上の戦略としては、失敗じゃないかな。まぁ、これは単に私たちの偏見かもしれませんが。
「イラストも、折角『狼と香辛料』で話題になった文倉十を起用してるのにな。勿体ないというか、何というか」
 個人的には、京都出身の作家さんということで、同郷のものとして応援してあげたいと思うんですがね。
「そうそう。結構京都らしい場面も出てくるしな。たとえば『お姉ちゃんは女子校や女子大のある坂をぐいぐいぐいとのぼっていく。このままいくと山道に入るらしい。(P.230)』って、この一文読んだだけで、京都市内に住んでる人間ならすぐ、あぁ、東山七条の『女坂*4』だなって判ったりするし。俺、結構あの辺の山道を学生時代に自転車で山越えしてたんだけどさ、夜なんか半端じゃなくこえーのよ。あの山の近く、国道1号の途中に東山トンネルって大きいトンネルがあるんだが、その脇にひっそり歩行者専用の小さなトンネルがあるんだな。ここ、1日に何人も通らない場所だと思うんだけど、ここがさぁ、超有名な心霊スポットなわけ。まず入り口の付近に来ると気温が一気に体感5度くらい下がるし、天井からは涌き水がコンクリートから染みだしてきていてポタリポタリと落ちてくる。そして、ブーンという唸りが突然止まったかと思うと、電灯が不規則に点いたり消えたりする……。最後に、ちょうどタイミングよくトンネル内を風が音を立てて吹き抜けたりするともうサイコー。蒸し暑い夏の夜だったら、体温が一気に下がって、吹き出してた汗が一瞬で冷たいものに変わるから。霊感とか抜きにしたとしても、不気味な場所だというのは間違いないね」
 でも、あのトンネルの辺りでも明かりがあるだけマシでしょう。山道の方に上ったら、本当に真っ暗ですよ、あの辺り。そんなところで夜に音楽活動してたら、それこそ怪異譚ですよ。ましてや、首なんか吊ろうものなら、それこそ誰にも発見されないままになっちゃうんじゃないですかね?
「ま、そんなわけで、本書は個人的に音楽ジャンルの作品としてよりは、むしろ幽霊譚とかゴーストストーリーなホラー作品として読まれるべきものだと思うんだけどな。3話目の、林間学校中の旅館で1人ずつ神隠しに遭っていく藤原くんの話なんかはまさにそう。ましてや、それ以前の、烏子と神野君の話や、明海と実祈の話なんか。それぞれ、日常と少しずれたところで起こる不思議話みたいなノリってことで十分いけるし、作品を紹介する上でもそこを強調した方がむしろいいんじゃないの」
 というわけで、一応ストーリー紹介……に変えた一部を引用しましょうか。

「僕にとって烏子は本当にかけがえのない親友だった。これは拷問にかけられたって否定しやしない。でも、もし僕が狂っていて、ありもしない事件を捏造していて、勝手に三年前に存在しないクラスメイトを殺したって思いこんでるだけだったら……。本当は荒川烏子なんてどこにもいなかったのだとしたら……」
 冷めたカフェラテを飲み干した。かすかにただれたシナモンのフレーバー。
「私は信じるよ」
 その一歩先に踏み出すには勇気がいった。
「だって、私もその子を殺したから。小学生のときに」

(P.63)


 ここだけ抜き取ると、なんだか桜庭一樹の『少女には向かない職業』みたいな展開なのかと思われるかもしれませんけどね。少年少女による、不可避だった殺人行為って点において、両者は似てるから。ただ……。
「ただ問題は、この烏子=実祈が復活することなんだよな。殺されて記憶を喰われるだけの存在『イケニエビト』と、それを追い詰めて捕食する『タマシイビト』。どちらもこの世ならぬものだから、その存在が地に足ついてないのは仕方ないのかもしれないが、それにしたって客観的には殺人なんだっていう深刻さが全く感じられないのが、本作の最大の弱点だろう。殺してるんだぞ、こいつら。人(の形をしたもの)を。もちろん裏を返せば、それこそが作者の良心でもある、となるわけだが」
 それから、これは記憶に関する部分についてですけど、この点でもちょうど前回採り上げた平山瑞穂の『忘れないと誓ったぼくがいた』とベクトルが異なりますよね。周りのみんなが一人の少女に関する記憶を忘却していく。ワスチカの主人公の場合、それに必死の抵抗をみせるのだけど、運命の前にその両腕はあまりに無力だったわけでしょう。けれども本作では、目に見える“悪意”に文字通り武器を持って抵抗しようとする……。ましてや、その“悪意”としての『タマシイビト』でさえ、その本質には無自覚で、どこまでも無邪気に描かれてるし。悪人がどこまでも存在しないんですよ。この話。
「そこが、桜庭一樹との最大の相違なんだろうがね」
 せっかく神野君が、『自分は狂ってるかもしれない』っていう面白い問題提起しているのに、それをあっさり否定したりしちゃいますしね。全く勿体ない。そういう"記憶の齟齬と認識の差異"って、かなり私好みの題材なのになぁ。
「いや、でもなかなか面白い部分もあったぞ。ほら、それが作者・森田季節なりの“紅茶に浸したマドレーヌ”なわけだが……」

ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート (MF文庫 J も 2-1)ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート (MF文庫 J も 2-1)
森田 季節

メディアファクトリー 2008-09
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ISBN:9784840124225

香辛料や香料は舌に刺激を与えてくれる。その刺激はもちろん脳にも伝わって、私たちの八割方満たされていない日常の見え方を一瞬変えてくれる。それは完全なまでに合法的な麻薬。

(P.17)

なぜだかちょっと安心してしまい、下唇をなめると、ざらりとシナモンの粉が残っていた。
直接なめたシナモンの粉は舌にぴりぴりとからかった。
その刺激は一瞬だけ私をタイムスリップさせて、ぴりぴりからい夏の記憶を呼び起こす。
何度思い出したところでそれは死者すら出た明らかな悲劇だ。なのに、あの夏をなつかしんでる自分がいて、私は今日もシナモンにうつつをぬかしている。

(P.22)

 ジンジャーエールのせいか、舌に軽いけいれんが走った。
「左女牛さんは覚えてる?」
 もちろん。あの夏のことはきっと私が年をとってぼけても忘れないだろう。
 だって初めて私は人を殺したのだから。

(P.77)

私の頭に小さないかづちが落ちた。それは意識がふっと遠くなる強いシナモンのにおいと似ていた。

(P.244)


「日常に対するスパイス。滞積した記憶への刺激。いつだって、過去は甘く、そして苦い。安直ではあるけどね。ちなみに、冒頭に焼きパイナップルの話が出てくるけど、本来パイナップルは生で食べるとプロメリンというタンパク質分解酵素が舌を刺激するんだが、火を通すとそのプロメリンは失われるため舌を刺激しなくなる。だから、火を通したパイナップルは、甘い。まぁ、これも一つのメタファーだろうけどね」
 それにしても、私はこの作品でどうしても納得できないことが一つあるんですよ。それが、最後のオチ。あれはちょっと無理があるんじゃないかな。いくら他人の道具を用いたからといって、その道具に人が殺されたという解釈には無茶がありすぎるとは思いませんか? 飼い主が猛犬を他人にけしかけるのとはワケが違うんですから。あの強引な部分がなければ、充分及第点だったと思うのですが……。
「まぁ、俺はというと、割と素直に評価してる方だけどな。ストーリーを頑張って考えすぎたせいで主張が色々ブレてしまってるところなんて、いかにも新人作品ぽくていいじゃないか。まったく。俺は好きだよ」
 なんだか、褒めてるんだかどうなんだか判らないコメントを残すと、タカオさんはまた次の本に取りかかりました。お願いなので、その日の気分で採り上げる本を変えたりしないでください……。付き合うこっちが大変ですので。ホントに。

*1:ニコニコ大百科「もっと評価されるべき」

*2:ニコニコ大百科「うp主は病気」

*3:涼宮ハルヒちゃんの憂鬱 (1) (角川コミックス・エース 203-1)

*4:知る人ぞ知る、京都の裏・観光名所。付近には「京都幼稚園」から「京都女子大学大学院」まで全年齢対応の各種学校が設置されているため、登下校時には相当数の女学生たちで溢れかえることで知られる、すごい場所。