読み逃している名作、ありませんか? 貴方に読ませたい、2007年マンガ作品紹介 その4。


「だれかに『好きな本は何』って訊かれるのって、怖いよな」

 ひとりごととも質問ともとれるような微妙な言葉を呟くと、タカオさんは溜め息をつきながらこちらを向きました。

「ついとっさに、相手との距離を測って、その読書傾向・読書レベルを推測しながら、なおかつ一般的にウケてる作品を脳内でリストアップし、それらに合致しそうな物を選ばないと、相手には全く伝わらないしな。向こうだって、全然知らない世界の話をされても困るわけじゃん。あくまで会話、話題の一つにすぎないわけだし。全く知らない著者の、全然知らない作品を突然全力で紹介されたら普通ビックリするだろ。色々気を使うわけだよ、こちらも」

 相手に合わせて自分のレベルを調節する、となると、私にはその回答は随分傲慢なものに思えますけど。それ以前に、タカオさんの場合、相手がどうのというより、自分の側に問題が内在してるんじゃないでしょうか。基本、自己愛が強い反面、打たれ弱い性格してるんですから。自分が本当に好きな作品を紹介して、相手に否定されるのが厭なんでしょう? だから、本気で自分の大好きな作品を紹介するのをためらってるんじゃないですか。

「わざわざ性格分析までしてくれて、どうもありがと。でもな、わざわざ答えを考えるのが、面倒くさいってのも事実なんだよな。というのも、先日こんなことがあったわけだ。同僚にさ、『お前給料、いつも何に使ってるの?』って訊かれたんだよ。ほら、オレ酒も煙草もやらないし、賭け事も一切しないし、趣味も読書程度のインドア派だって言っちゃってたしさ。で、つい正直に答えちゃったわけだ。『本を買うので精一杯ですよ、先月はマンガだけでウン万円使いましたし*1』って。そしたら当然、何でそんなに買うものがあるんだ、何を読んでるんだ、ってなるじゃん。もちろん、答えなかったけどな」

 そういうときは、「最近、面白いものないですか」って逆に訊けばいいんですよ。たぶん、相手は深く考えずに普通に答えてくれると思いますよ。

「訊いたよ。『バガボンド』って言われた……」

 ああ――それはちょっとツライですね。ほらほら、溜息ばかりついていないで、仕方がないからweblog上だけでもタカオさんのお薦めを挙げてくださいな。ここなら遠慮はいらないですから。

「いや、実はweb上でも、もう少し遠慮した方がいいんじゃないかと思い始めてる。やっぱさ、閲覧者の側から見れば、全く知らない本がズラリと並んでいるところよりも、少しは知っている本も紹介されているサイトの方が安心感があるんじゃないか。少なくとも、俺はそうなんだけどな」

 まぁ、そこはおいおい考えていきましょうか。少なくとも、今回の紹介企画ぐらいは初志貫徹でお願いしますよ。

「それじゃあ、企画再開といこうか」


 

乙女ケーキ (IDコミックス 百合姫コミックス)

乙女ケーキ (IDコミックス 百合姫コミックス)



 前回に名前が出たので今回も紹介するのは気が引けたんですけど、良作なんだから仕方ないですよね。タカハシマコ『乙女ケーキ』です。どういう経緯でなのかわかりませんが、ナゼか帯の推薦文を桜庭一樹が書いてます。少女が持つ一過性の華やかさと不安定さ、それゆえの美しさと残酷さを徹底して追求する作風が、桜庭一樹の一連の少女小説群と親和性のあるものだと捉えられたんでしょうか。見事な人選です。そういった帯部分も含め、マンガというより一冊の本として手元に置いておきたくなる、とても綺麗な一冊ですよね。とは言っても、内容の方は、綺麗とばかりも言いきれないのが難点なのですが。雑誌『百合姉妹』『コミック百合姫』に掲載された作品を収録した短編集ってことで、頭からお終いまで、どこをとっても百合百合な関係の話ばかりですけど、逆に女性同士ということで過剰な描写が抑えられているので、タカハシマコ作品としては比較的おとなしい作品集になったように思います。ちなみに、私のお気に入りの回は「タイガーリリー」です。

「『タイガーリリー』の回がスゴイのは、余命幾ばくもないお婆ちゃん2人を、セーラー服の女子高生姿で描いているところなんだよな。普通はそんな発想出てこない。時間が経てば、姿は変わるし記憶も薄れる。誰だって、いつまでも少女のままではいられない。けれども、あの2人はそこで時を止めたかのように少女の姿で描かれてる。この話、俺が今まで読んだ百合話の中で最高齢の百合"少女"の話なんだけれど、それをこういう形で表現するっていう手法を思いついたことがとんでもない。しかもこの回に登場するゆりさん、驚くほどに美しく描かれていて、作者の気合の入り方が違ってるのが肌で感じられる。内容も完璧。これは並のマンガ家では太刀打ちできんわな」

 敢えて作者が描いていない部分も、想像すればちゃんと分かる仕組みになっているのも偉いですよね。主人公のトラさんは、女学生のころ教師の寺尾先生が好きだった。でも、「一時的な感情です。お嫁に行けばすぐに忘れてしまうでしょう」と拒否される。寺尾先生と結婚したのはゆりさんだった。と、ここまでは描いてありますけど、そこから先は割愛されてる。たぶん、ゆりさんが先生と結婚したのは、トラさんが好きだった人だからで、先生のこと自体はどうでもよかったんでしょうね。ゆりさんはトラさんが好きなんだから。一方、トラさんの方は、先生の言葉通り、先生のことを忘れるために、他の人の所にお嫁に行った、とそういう話なんでしょう。描くべき部分と描かなくてもいい部分の配分をしっかり把握して描き切ってるタカハシマコは素晴らしいです。本当に、短編を書かせたら見事な人ですね。

「描かれてない部分が重要な話、といえば、『彼女の隣』もそうなんだけどな。これ、一度読んだだけでは話の内容が判らなかったし。かつて桜の下で見かけた男女。男の方はその後出会った今の彼氏、女の方はその元カノ。主人公は彼氏の携帯電話でメールを使って、女を呼び出し――となると、普通、嫉妬と痴話喧嘩の話だと思うじゃん。違うんだなぁ。"百合"っていうキーワードを思い出して、ようやく全てが氷解したんだよ。あれはビックリしたね。テーマ一つでこうも読後感が変わるものかと心底驚嘆させられた」

 男と女の間には深くて暗い河がある、と言ったのは、野坂昭如だったと思いますが*2(黒の舟歌)、タカハシマコが描く女同士の間には一体何が横たわってるんでしょうね。少し気になりますね。



土星マンション 2 (IKKI COMIX)

土星マンション 2 (IKKI COMIX)



「じゃあ、次。岩岡ヒサエのSFマインドあふれる作品『土星マンション』だな。個人的には、1巻の方の出来が相当良かったのでかなり期待してたんだが、蓋を開けてみるとまずまずの出来って感じで、ちょっと残念だった面もある。ま、起承転結で言えば1巻が"起"で2巻が"承"の部分に当たるから、これくらいで充分過ぎる出来だと思うよ。この作品、タイトルには『土星』ってついてるけど、別に土星の話じゃなくて、舞台は地球。ただ地球の高度3万5千メートル部分に地球を一周するリング状のコロニーが出来ていて、その輪が住居になってるから『土星マンション』ってタイトルをつけたんだろうと想像できる。主人公の少年ミツは、その建造物(リングシステム)の窓を拭く職に就く。それは、かつて自分の父親が続けていた仕事であり、そしてそれゆえに命を落とした危険な仕事だった――とまぁ、設定自体が大変イカシてるじゃないか。デブリ回収を描いた『プラネテス』第1話とタメを張るくらい、見事な1話目だったしな」

 今後この物語をどう展開させるのか少し気にはなっていますが、普通にちょっといい話が続くってんなら魅力はいま一つですね。人の住めない保護地域と化した地球上と、そこに落ちて行った父親と、話のパーツは徐々に見えてきているので、今後お話がダイナミックに動くよう私としては期待していますよ。

「上層階と下層階の間で、J.G.バラードの『ハイ-ライズ』ばりの確執が起こるとか、そういうのでもいいと思うんだけど。でも、作者は人間関係をやさしく描くのが好きそうだし、実際それが抜群に巧いから、そうはならないんだろうけどね。まぁ、この作品についても、今のところは様子見ってことで、ひとつ」



マイガール 1 (BUNCH COMICS)

マイガール 1 (BUNCH COMICS)

バス走る。 (BUNCH COMICS)

バス走る。 (BUNCH COMICS)



 じゃあ、私の番ってことで次はこれで。佐原ミズマイガール」です。これはもう、ストーリーとかそんなのどうでもいいんですよ。とにかく、利発でわがまま一つ言わないママ大好きっ子な5歳児のコハルちゃんが可愛くて仕方がありません。一緒に暮らすようになって一番最初の要求が「髪の毛 三つ編みにしてください」*3ですからね、これはビックリしますよね。これくらい可愛い娘が突然できたら、そりゃなんでもしてあげたくなりません? 制服のリボンも結ぶし、三つ編みもしてあげるってもんです。主人公の父親を「正宗くん」って呼ぶところとか、好きです。いい親子じゃないですか、この二人。

「うーん、物語としては短編集の『バス走る。』の方が俺は好きだけどな。それも、バスの方のシリーズじゃなくて、白泉社『メロディ』掲載のオムニバス短編『ナナイロセカイ』の方が良い。大体、佐原ミズは、さっき紹介した岩岡ヒサエと似てて、いろいろ優しすぎるんだと思うんだ。あまり、人間の悪意を描くことに慣れてないというか、単純にそれを嫌って避けているというか。綺麗なものだけ追いかけてるような人で、もちろんそれは全然構わない事だし、むしろその方面だけで活躍すればいいのにと思ってたくらいなんだが。けど、『マイガール』はそのことを自覚したのか、突然、23歳未婚男性と5歳の実の娘という、社会的にあまり受け容れられない家庭の姿を描いているだろ。これって2人が周囲からどう見られるのか、っていうのが主眼になる話なわけだし、どうにも実験的な作品といった印象を受けてしまう。しかもその実験作って域を実際に出ていないのが、難点だと思うんだけど」

 なので一応、ストーリーに関してはまだまだこれから長い目で見ていきましょうってことで、単純に応援したいわけですよ、私としては。

「あと、佐原ミズに関しては、後悔してることがあってさ。昔、梅田の とらのあな で開店1周年記念があってねぇ、早い者勝ちのサイン本販売をやってたんだよな。そのとき、佐原ミズの『ほしのこえ』も売ってて、しかも原作者の新海誠とのWサイン本だったんだけど、数量制限のせいで結局買えなかったのよ。アレは、今でも、大分悔やんでるだけどねぇ。逃した魚は大きいというか……」

 結局、タカオさんも好きなんじゃないですか、佐原ミズ。まったく、男のツンデレはモテナイから即刻やめた方がいいですよ。本当に。



ブラッドハーレーの馬車 (Fx COMICS)

ブラッドハーレーの馬車 (Fx COMICS)



「それじゃ、今回紹介する最後の一冊を、ひとつ。沙村広明『ブラッドハーレーの馬車』 これは衝撃的な作品だったなぁ。“戦慄! 衝撃! 圧倒!”っていう帯の惹句が、これほど生ぬるく感じる作品もそうそうないよ。痛々しいというか、無残というか、ただ一言"残酷"って言葉で済ますにはあまりに酷い、むごい描写と内容の物語。でも、間違いなく傑作なんだよね。だから、その点でとにかく、読了直後自分の中ではうまく咀嚼しきれなくてさ、名作として紹介するにはあまりに内容が過激すぎるし、かといって苛烈な内容に反発して未紹介で終わるにはあまりに惜しすぎるしで――わかるだろ?」

 いや、これは私にはなんとも言えませんよ。どちらかというと紹介しない方が良かったんじゃないですか……。私、最初1日に1話ずつくらいしか読めませんでしたし。折られた5本の指、床に転がった眼球、千切られた乳首の跡。3話目以降もあんな描写が続いていたら、私は絶対耐えられなかったですよ。

「物語は単純なんだよな。各孤児院からただ1人、毎年選んで養女とするブラッドハーレー公爵家。孤児院に迎えに来る馬車は、少女たちにとって夢への階段の一つに見えた。しかし、馬車が向かうその先は、地獄にも等しい阿鼻叫喚の真っ只中。刑務所の一室、終身刑に服す囚人たちが詰め込まれた薄汚い部屋の中。少女たちはそこで、逃れられない悪夢を見る――。って話。後半に行けば、物語は次第にブラッドハーレー家の存在そのものやその思惑、少女たちを取り巻く周辺の者たちへと視点がシフトしてくるので、そこでようやくこっちは落ち着けるんだけど、それまでが何よりキツイな。もっとも、最後は毎回馬車に乗って去ってく女の子たちの場面で終わるようになりはするものの、残酷描写はただ省略されているだけにすぎないし、この後この娘もあぁなるんだろうなぁとか想像しちゃうと、また最悪の読後感が再び身を襲う羽目に陥るんだが」

 よくまぁ、こんな話を素面で考えるものですよ。沙村広明は。「無限の住人」とかのファンでこの本を読んでみようとか思ってしまった人は、少しでもいいので、躊躇してみることをお勧めしますね。この作品、途中で投げ出してしまったら、それが一番悲惨なので。読み始めたならとにかく最後まで読み切らないといけません。最後まで読めば、「傑作だった」と実感できますけど、そうでなければただの悲惨な話にすぎませんので。というか、やっぱりこの作品は紹介するべきじゃないと思うんですよ。なので、読んで万一肌に合わなかったとしても、苦情はやめてください。頼みます。とまぁ、そんな感じで今回は終了しましょうか。マンガ紹介は、次回で本当に完結の予定。もっと紹介しろって言う声があれば伸ばしてもいいですが……。まぁ、その辺も含めて、なりゆき任せで。このエントリも、最後までお付き合いいただければ幸いです。

*1:勿論、書店で販売している新刊本だけでコレ。冬コミ未参加につき同人マンガは入っていない。小説や古本購入分を入れると、金額が6ケタに及ぶこともあったりするとか

*2:ちなみに、「男と女の間には 海よりも広くて深い川があるってことさ」と言ったのは、「エヴァンゲリオン」の加持リョウジ

*3: