読書とは、心の滋養である。本読む私たちが目にする本が嫌いな女の子。「時載りリンネ!2 時のゆりかご」


「この前、仲間の家で『ゲームセンターCX*1』ってDVDを見たんだけどさ」

 タカオさんが、机に向ったまま壁に話しかけるようにして、突然、そう呟きました。この人は、いつだって唐突に話を始めるうえ、こちらを向いて会話をスタートさせないので、ときどきその言葉が、自分に向けられたものだと判断できない時があります。まったく、いやな癖ですね。

レトロゲームってやつは、本当に理不尽なほどハイレベルな操作をプレイヤーに要求するよな。そしてまた、限りなく不親切だ。しかし、昔の俺たちは、それ故に熱くなれたのかもしれん。敵は強ければ強いほど、謎は不可解であれば不可解なほど、俺たちは一層、挑戦者の気持ちになれた。まさに、“キーワードは『不親切』!!*2”っていうべきだろうか」

 あなたは一体、どこの天川さん*3ですか。それにしても、タカオさん。相変わらず自己完結した話を好んでする人です。いまだ話の流れが読めない私は、とりあえず様子見で、あー、とか、えぇ、とか言って誤魔化しつつ、やり過ごそうとしました。ところが。やはり、そうは問屋が下ろさないようで……。

「特に、コンテニューが酷いな。だいたい、"continue"って『続く』って意味じゃないか。続かないんだぞ、昔の一部のゲームは! 『ソロモンの鍵』とか、『忍者龍剣伝』とかさぁ。前の面に戻ってやり直し、って一体どこまでサディスティックなんだ、と」

 『ドラゴンボール 神龍の謎』とかも、そうでしたね。もう何回月面に戻らされたかわかりません。しかも、運の要素が多分に影響するゲームなのに。あそこまで行くともはや、クリエイターがサディストだったというよりは、当時のゲーマーが飛びぬけてマゾヒストだったのだとしか思えなくなってしまいます。制作した本人がちゃんとクリアしたのかどうかさえ、怪しいものだと思いますよ。……って、なんで私はこんな会話にのってしまってるんでしょうか。すると、タカオさんは、ようやくこちらを振り返ると怪しい笑みを口元に浮かべながら、こう言いました。

「そうだろう? だから、俺は考えた。小説でも同じような作品が創作できないものかって。例えば、油断してると何回も同じ文章を読まされる、とか、気を抜くとまた一から読み直さないといけない、とか」

 残念ですが、そんな作品なら、世の中にもう幾等も出てますよ。前者だったら、中村九郎「黒白キューピッド」とか。後者だったら、そのものズバリ、エンリケアンデルソンインベル「魔法の書」*4って作品があります。読むのをやめると、また初めから読み直さないといけない不思議な書物に取りつかれた男の、悲哀を描いた短編ですね。

「……中村九郎は置いとこうや。微妙に趣旨がズレてる感がある。それにしても、そうか、既に先行する作品があったか。どうりで俺ごときにも思いつけるわけだ。それじゃあさぁ、ボルヘスの『トレーン、ウクバール、オルヴィス・テルティウス』*5みたいな話はどうよ。特定の版の書物の中にだけ、密かに謎の文明に関する記述があるわけだけど……」

 待った! 版が違えば内容が変化しているのは、むしろ当然じゃないですか。ボルヘスのあの短編が巧いのは、徐々に紡がれていくトレーンという存在が、現実を少しずつ侵食し脅かしていながら実際にはそんな痕跡が記録の中だけに留まっているのみ、というその過程の語り口の妙にあるのだと思うのですよ。修正パッチを当ててデータを直す、パソコンゲームなんかと一緒にしないで下さいよ。

「佐久良タンも言うようになった……」

 感慨に浸ってないで、ほらほら。さっさと今日の課題図書を片づけてしまいましょう。もう判ってるんですよ、さっきから視界の隅に入ってるんで気になってしょうがないんですから。清野静時載りリンネ!』の話なんでしょう?

「うん。まぁそうなんだが、何事にも順序ってものがあるだろう。折角『魔法の書』の話まで引っぱり出してきたというのに。本来だったら、ボルヘスから「バベルの図書館」*6の話題に持っていって、それからこの作品に入ろうかと思っていたんだが……」

 そんな事では、いつまでたっても本論に到達できませんよ。このウェブログ、ただでさえ、更新するのに時間がかかるんですから。てなわけで、大雑把に作品を説明しましょう。本嫌いな12才の美少女リンネは、読書することで200万字の字を読むと、1秒間、時を止めることができる「時載り」である。けれども、好奇心旺盛でちょっぴり我儘な性格が災いしてか、なぜだかトラブルという名の大冒険をいつも経験するのでした……。って感じでどうでしょうか。

「語り手の存在に全く触れない説明ってのも、果たしてどうだろうか。言ってしまえば、本作の語り手にして記述者である久高は、戯言シリーズの“いーちゃん*7ぐらいの地位は占めてるだろうに。この久高の存在こそが、この作品の謎のひとつであり、伏線でもあるわけなんだからさぁ」

 2巻冒頭の「序章」あたりの事ですか? 「書き漏らしたことが二、三あるような気もするけど、誰も気づかなかったし、文句も言わなかったからそれでよしとしよう(P.5)」ってありますけど。……これ、読み方によっちゃあ、単なる言い訳と取られても仕方ない文章になってますねぇ。これを序章に持ってくるなんて、作者は大胆というか、挑戦的というか。

「そうじゃなくて。それ以前に、もうちょっと君も、気にするべき部分があるだろう。タイトルの時点で、ピンと来ないのかね。“時”“載り”だぞ。本編中に、時制が全く書かれてないだろう。こいつら一体、“いつ”の人間なんだよ」

 時代背景については、確かヒントがあったと思いますよ。えーと、たとえば1巻P.9。「僕らが生まれる10年も前に製造された粗悪品の14インチの箱型のカラーテレビ」ってあるから、つまり久高とリンネが12才なので、カラーテレビ誕生の少なくとも22年後ってことになりますね。カラーテレビは1960年販売開始としても、だいたい現在は1982年くらいって計算じゃないですか?

「さらに言えば、2巻 P.46でルウがリンネに『ホテル・ニューハンプシャー』の原書を渡してるだろう。アーヴィングがこの本を発表したのが1981年だから、時期的には確かに合致するわけだ。あと、1巻を見ると、ルウの本棚にはポール・オースターの名前がある。処女作『孤独の発明』は1982年の発表だし、大体、80年代初めごろと考えていいんじゃないか。……あぁ、しまった。でもテレビ関係の情報を入れると、もっと後か。佐久良タンが言ってたのと同じ P.9で、リンネが『特攻野郎Aチーム』のセリフをネタにしてるわ*8。あの番組の日本での放映は、えっと86年か。大分ずれ込んだな」

 1986年だったら、『ホテル・ニューハンプシャー』はちょうど、翻訳本が出てますよ……。そんな時期にわざわざ原書をプレゼントするなんて、非常に意地悪ですね、ルウって娘は。もっとも、これで作中に登場するのが「電車」じゃなくて「列車」だったり、「携帯電話」じゃなくて「公衆電話」だったりする理由も納得ですね。そこまで、時代が進んでないわけですから。

「ところが、この作品は“もう一つの時制”の方が問題なんだよ。すなわち、“久高が実際にこの物語を書いてる時代”だ。これこそが、この作品最大の謎といっても過言ではないだろう」

 いやいや……流石にそれは過言なんじゃないですか? 1巻の終章には“近況”が書いてあって、その内容を一読すれば、物語の時期は、1巻の「夏」から2巻の「秋」にかけての間だというのは一目瞭然ですよ。だから、この1巻の内容は、12才の夏休み終了後、2巻の内容が始まるまでってことになるんじゃあないでしょうか。

「……キミ、本気でそう思ってるわけ?」

 ごめんなさい。適当なこと言いました。そんなこと、思ってないです。だから、あまり睨まないでくださいよ。変だなと思う所なら何か所もありますって。そもそも、この作品は作者・清野静の筆力がありすぎるのが問題なんでしょうが、いくら設定の上だとしても12才の少年が書いたとするには、かなり文章が達者すぎるのです。「僕の問いにリンネは腕組みをすると並みいる群臣を威圧する皇帝のようにあたりを睥睨して言った(2巻 P.25)」とか、どこの小学生がこんな言葉使うんですか。およそ現実的ではないですし。あ、あと、他にも気になるところを引用しますと、
 ・僕はその後の人生の中でも、リンネのママさん以上の美人を見たことがない。(1巻 P.119)
 ・その緒方夫人とリンネの間柄は今や莫逆と言えるものになり、その仲はその後、長く変わることがなかった。(2巻 P.305)
てのが、ありますが……。

「序章と終章を読んだ限りでは、その両者の間の物語(1〜10章)は、一見、12才の少年・久高が書いたように読める。しかし、用いられている語彙、文章力や、佐久良タンがいま言った引用部分を読む限りでは、逆に記述者は老人(?)・久高であるような気分になってくる。これがこの作品最大の謎であり、伏線であり、読後に感じる違和感の正体でもあるな。もしこの部分について、彩やかな回答が用意されているのなら、俺は手放しで作者・清野静を褒めてもいいくらいだよ」

 平たく言えば、話の中で、時間軸が捩じれてるわけでしょう? だったら久高を、時間を超越した存在、『逸脱者』にすればいいだけなんだけど……。それができないんですよねぇ。困ったことに。
 「あの日、あの未到ハルナという時砕きがリンネの未来に何を見たのか、僕にはよくわからない。時を跨ぐことのできない僕には、時間とは今のこの瞬間がすべてだからだ。(1巻 P.224)」
って文章が、しっかりと残っちゃってますんで。こうなると、ちょっと意地悪かもしれませんが、これからの作者のお手並み拝見となるでしょうか。

「それにしても、作品外において、もっと大きな謎が残ったままなわけだけれど……」

 ??? なんですか、それ?

「作者の清野静って、いったい何歳くらいなんだ? いくらなんでも筆が達者すぎるだろう!」

 やれやれ。ある意味重要な、そして、別段どうでもいいような疑問を抱えたまま、私たちの読書漬けの夜は、一層更けていくのでありました。


時載りリンネ!〈2〉時のゆりかご (角川スニーカー文庫)

時載りリンネ!〈2〉時のゆりかご (角川スニーカー文庫)

*1:芸人・有野晋哉よゐこ)が往年のクソゲー、難関ゲーの攻略に挑むコーナー「有野の挑戦」で人気のTV番組

*2:うめ著『東京トイボックス』1巻 P.193 4コマ目参照。名作。

*3:前掲書の主人公・天川太陽のこと。決め台詞は「仕様を一部変更する!!」「魂は合ってる」

*4:『魔法の書』(国書刊行会)収録。現在重版未定。

*5:ホルヘ・ルイス・ボルヘス『伝奇集』(岩波文庫)収録。傑作。

*6:同上。『伝奇集』収録

*7:西尾維新クビキリサイクル』等のシリーズ(講談社)参照。主人公の通称。本名不明。西尾維新本人とは異なる。

*8:リンネのセリフの元ネタは勿論、「しかし、地下で燻ってるような俺たちじゃあない。筋さえ通りゃ金次第でなんでもやってのける命知らず、不可能を可能にし、巨大な悪を粉砕する、俺たち特攻野郎Aチーム!」