あふれ出す妄想、おびやかされる現実。たとえばこんな同人誌。「リューシカ・リューシカ」第02巻


「リューシカかわいいよ、リューシカ!!」

 私が東京から持ち帰った書籍に目を通すと、タカオさんは高らかに叫びました。

「これ一冊買ってきただけでも、高い交通費を払って旅に出た甲斐はあるだろう。よくぞお使いを果たしてくれた」

 別に私は、夏コミのために上京したわけではないのですけれど……。どちらかというと、一応今回の上京物語は、オフ会参加と『ゴーギャン展』の観覧がメインなのですよ。東京ビッグサイト訪問などは、ついでですよ、ついで。勘違いしないでください。

「こやつめ ハハハ*1。佐久良タンが今更、ツンデレキャラになろうとしても、もう遅いよ」

 だから違うってのに。まぁそれはさておき……とりあえず、話を進めましょうか。今回は安倍吉俊の同人誌を採り上げるワケなんですけど、これ、この場で紹介するにはどうなんでしょうか。買ってない人の場合、「読みたいけれど、買えない」という状況が発生するわけでしょう? 

「別に、感想文や紹介文書くのに同人を除外する必要はないだろう。それに、どうやらこの作品、正式に商業誌での連載が決定したみたいだしな。いま読めないとしても、少し我慢すれば、そのうち読めるようになるよ。もちろん断言はできないけど」

 今年のサクラコン安倍吉俊自身が発表したっていう3Dアニメ化やその他の件ですね。上手く企画が実現して成功すればいいのですが。それにしても、安倍吉俊関連の商業作品って、「灰羽連盟」といい「NieA_7」といい「回螺」といい、いつも同人作品ありきですよね。不思議。

「それだけ、作者が『どうしても描きたい』と思ったものを、周りが環境を用意して描かせてあげてるってことなんじゃないか。少なくとも、安倍吉俊は、画力については、イラスト業界を見渡してもピカイチなわけだし。……マンガ的手法はともかくとしてもさ」

 それでは、本編に入っていきましょうか。今回の"リューシカ2巻"なんですけど、どうだったでしょうか。

「オレの贔屓目だけれど、『リューシカ・リューシカ』は、昨年夏に発売された1巻の時点で、元々名作認定済みなんだよ。去年のマンガでベスト3に入る。それの新作だからな、当然評価は高いよ」

 なにより、表紙のリューシカが可愛いですよね。1巻の表紙に比べると随分マンガキャラ寄りに、つまり、マンガキャラとして意識的に描かれてる印象を受けます。カラになったチョコミントカップアイスをくわえてる姿なんか、すごくツボったんですけど。

「で、このチョコミントが、本編の買い物話の中で発展していく……と」

 『チョコミントー チョコミントー』『お前は そういう政党の 人か!!!』って、最初何のこと言ってんのか全然分かんなかったですよ。まぁ、次のページを見ればすぐ判るんですけど、これは巧いなぁと思いました。私、今までそんなこと、考えたこともなかったですから。あ、一応、説明しておきますと、『リューシカ・リューシカ』っていうのは、7〜8歳くらいの女の子(リューシカ)が何かにつけて色んな妄想世界を繰り広げる、というそれだけのお話です。ただ、その妄想っぷりが半端じゃなくて、その発想の凄さと、それを逐一視覚化していく作者の技量が素晴らしい。そこを楽しむ作品と、言えるでしょうね。

「1巻のCDの話と、2巻のラーメンの話なんかは見事の一語に尽きるね。個人的には、CDの話の方が特に好き。CDの盤面を眺めていたリューシカが、音楽を"イメージ"する話。あの話には戦慄した。……音楽だから"旋律"に掛けたワケじゃないぞ。ともかく、ああいう行為って、子供時代なら皆経験したことがあると思うんだよ。想像の世界が現実世界を凌駕するというか、突然スイッチが入って"向こう側"へ行く感覚がさ。目の前に見えている世界と、頭の中に映っている世界が完全にぶれてしまって、しかも脳内の方がイメージが強烈なの。……大人になると、自然とそういうことはなくなっていくんだけどな」

 作中でも、リューシカは、兄からCDの本当の聴き方を教えられて実際の"音"を聞くと、その結果怒り出すんですよね。『ぜんぜん ちがう!!』って言って。当然兄には何のことか判らない。一方、リューシカは、もう一度その音楽を思い出そうとするんですけど、それはもう、取り戻せない。散逸して、雲散霧消してしまった。あの音楽は二度と帰ってこない。このとき、号泣するリューシカが可哀想で仕方がなくなります。(「もう思い出すことができない もう思い出すことができない」「めいきょく だったのに………」)*2

「あの話を、音楽ではなく絵画に置き換えたら……それはそのまま安倍吉俊自身の話になるんだろう。頭の中にイメージとして浮かんだ映像。それをいかにして作品として現実に定着させるか。芸術家・安倍吉俊の挑戦だろうな。勿論それは、ひいては我々大人全体にとっても同じことなんだが。その、挑戦するべきジャンルが異なるってだけで。そういえば、安倍吉俊は、『CG彩色テクニック』という本でこんな事を書いている。


 「海は青い」とか、「リンゴは赤い」とか「キャラクターの肌色はなるべく血色よく」などという先入観というか、決めつけが頭にあると、変な所で絵を面白くするチャンスを逃します。
 自分の中で常識になってしまっている事を、うまく再検証しながら作業できると、描き終わって数日経って見返して、はたと気づくような失敗を、事前に回避する事ができるようになります。といっても、自分の中の常識というのは、脳が思考を効率化するために、わざわざ「これは間違いないから検証しなくていい」とラベルを貼って疑問を発生させないようにしている項目なので、そのラベルを剥がして、改めて再検証するのは非常に難しいのですが。

この『常識の再検証』が、描写面はもちろん、物語の制作においても発揮されなければならない、と安倍吉俊は考えてるんじゃないかと思う。『リューシカ・リューシカ』という作品は、その意味において、格好の素材なんじゃないかな、とオレは思うけど」

 うーん。しかしですね、私が思うに、この人の場合、常識の基盤となるべき日常生活の部分が、他の人とはかけ離れてるような気がしますが。例えば、『というか、このマンションはワンフロア3室で、同じ階の僕の部屋を除いたふた部屋が、ヤクザ経営の売春宿なわけですが。いやもうとんでもないです(笑)。』なんて経験、普通の人はできないですし。

「あぁ。伝説の『鴬谷娼館便り』か。当時読んでたときは、これをマンガ化すれば絶対受けるのになぁと思ったけどな。ちなみに、過去ログはまだ本家にあるみたい。読んだことのない安倍吉俊ファンは、読めるウチに一読をしておくべきだと思うぞ」

 『リューシカ・リューシカ』では、リューシカは色んな想像の世界に迷い込むわけですが、結局の所いつも、毎回きちんと日常に舞い戻ってきてオチが付くんですよね。それがあの作品の魅力であるのですけど。ところが『鴬谷娼館便り』では、明快なオチが付いていない。100%のノンフィクションなんだから当たり前なんですが、それがちょっと怖くもあって如何ともしがたい読後感になってるんですよ。結局、幼さ故に現実と夢想を往復できるリューシカの世界と、大人故に現実と直面するか逃避するかしか選択し得ない現実世界。どちらも安倍吉俊の世界……なのかもしれませんね。

「そういう佐久良タンも、厳しい現実世界から逃避して、コミケの世界へ行ってたしね」

 だから、違うって何度も言ってるじゃないですか。――まったくもう。



リューシカ・リューシカ 第02巻

安倍吉俊

むてけいロマンス
2009-08-16



リューシカ・リューシカ

安倍吉俊

むてけいロマンス
2008-08-17



*1:AAも有名な、マンガ「三国志」(画 園田光慶,作 久保田千太郎)の曹操の台詞。

*2: